「有明集」前後
蒲原有明
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(例)概して※[#「りっしんべん+予」、281−3]情的理由は
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明治三十八年に「春鳥集」を出したときには、多少の自信もあり自負もあつた。わたくしのやうな氣弱なものも詩作上思ひきつて因襲に反撥を試みたのである。あの稚拙な自序を卷頭に置いたのもその爲で、少しきおつたところが見えて落ちつかぬが、それも致しかたない。
さて象徴詩がどういふ筋道を通つてわが詩壇に導かれたかは、今こゝに述べにくい。それは別に研究を要すべきことである。然し思つたよりも早い時代に始まり、ヴェルレエヌの死(一八九六年一月)がその機縁を作つたと云へば、さもこそと肯がはれる道理がある。即ち同年(明治二十九年)三月發行の「文學界」は上田柳村氏の草した、この落魄の詩人を紹介する記文を載せてゐる。この事はすでに「有明詩集」自註の中に誌しておいた。それから後になつて森鴎外氏は「めざまし草」の數號に亙つて「審美新説」を譯出
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