、世紀末の黄昏と憂鬱とがその基調をなしてゐて、時代の色が濃やかににじみでてゐる。然しながら評論めいたことは今述べる場合でなく、またそれはわたくしに不相應でもある。わたくしの強調したいのは、特に「あひびき」の影響である。故友國木田獨歩氏も「あひびき」の讚嘆者で、その叙景を非常によろこんで、これによつて自然を觀る眼が始めて開けたとさへ云つてゐたほどである。

 二葉亭氏の譯筆の妙は今更稱揚する必要を視ない。「あひびき」の一小篇にしたところが、ただの飜譯ではなくて、寧ろ二葉亭自身の創作よりも以上に、眞實の創作である。またそれだけ力が籠つてゐる。よくこなれた俗語の適切なる使ひぶりと、よく曲げて嫋やかに撓んで彈力性に富んだ句法とが、互に絡みあつて洗練されて新文體を創めた二葉亭氏の勞力は非常なものであつたらう。氏の天稟は最もよくその譯筆に於て窺はれる。
 前に云つたやうに、「あひびき」の叙景が昨日歩いてきた郊外の景色の如く思はれたのも、畢竟するにその譯筆の靈活に負ふところが多い。露西亞の田舍のたたずまひが武藏野に移されたのである。餘りに譯しすぎると云ふ一部の評もかういふところから起るのであらうが、
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