、外景を描寫したあたりは幻覺が如何にも明瞭に浮ぶ。科の末の氣紛れな空合や、林を透す日光や、折々降りかゝる時雨や、それがすべて昨日歩いてきた郊外の景色のやうに思はれる。さういふ自然の風光の裡で、男の傲慢な無情な荒々しい聲と共に女の甘へるやうな頼りない聲が聞える。それは謎である。解きようもない謎であることに一層の興味が加はつてくるのか、兎にも角にも、わたくしの覺えたこの一篇の刺戟は、全身的で、音樂的で、また當時にあつてはユニクのものでもあつた。それで幾度も繰返して讀んだ。二葉亭氏の著作のうちでこの一篇ぐらゐ耽讀したものは外にない。當時の少年の柔かい筋肉に、感覺に染込んだ。最初の印象は到底忘れることも、また詐ることも出來ないのである。それでゐてわたくしはこの拂拭し難き印象を、内心氣味わるく思つてゐた。こゝにその類似を求むれば、かの初戀の情緒と恐怖であらう。ずつと後になつてから、わたくしは自己を欺いて、二葉亭の文章は嫌ひだと口外するやうになつた。第二、第三の戀が出來てゐたからである。

 二葉亭氏を印度洋上に亡つた今日となつて囘顧すれば、つまらぬことのやうではあるが、わたくしは「あひびき」の一
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