「あひびき」に就て
蒲原有明

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 わたくしが長谷川二葉亭氏の名を知りはじめたのは「國民之友」に出た「あひびき」からである。明治二十一年の夏のころであつたが、わたくしは未だ中學の初年級であり、文學に對する鑑賞力も頗る幼稚で、その頃世間にもてはやされてゐた「佳人の奇遇」などを高誦してゐたぐらゐであるから、露西亞の小説家ツルゲーネフの短篇の飜譯といふさへ不思議に思はれ、ただ何がなしに讀んで見ると、巧に俗語を使つた言文一致體――その珍らしい文章が、これがまたどうであらう、讀みゆくまゝに、わたくしの耳のそばで親しく、絶間なく、綿々として、さゝやいてゐるやうに感じられたが、それは一種名状し難い快感と、そして何處かでそれを反撥しようとする情念とが、同時に雜りあつた心的状態であつた。
 さてそれを讀み了つて見ると、抑も何が書いてあつたのだか、當時のうぶな少年の頭には人生の機微がただ漠然と映るのみで、作物の趣旨に就ては一向に要領を得なかつた。それにも拘らず、外景を描寫したあたりは幻覺が如何にも明瞭に浮ぶ。科の末の氣紛れな空合や、林を透す日光や、折々降りかゝる時雨や、それがすべて昨日歩いてきた郊外の景色のやうに思はれる。さういふ自然の風光の裡で、男の傲慢な無情な荒々しい聲と共に女の甘へるやうな頼りない聲が聞える。それは謎である。解きようもない謎であることに一層の興味が加はつてくるのか、兎にも角にも、わたくしの覺えたこの一篇の刺戟は、全身的で、音樂的で、また當時にあつてはユニクのものでもあつた。それで幾度も繰返して讀んだ。二葉亭氏の著作のうちでこの一篇ぐらゐ耽讀したものは外にない。當時の少年の柔かい筋肉に、感覺に染込んだ。最初の印象は到底忘れることも、また詐ることも出來ないのである。それでゐてわたくしはこの拂拭し難き印象を、内心氣味わるく思つてゐた。こゝにその類似を求むれば、かの初戀の情緒と恐怖であらう。ずつと後になつてから、わたくしは自己を欺いて、二葉亭の文章は嫌ひだと口外するやうになつた。第二、第三の戀が出來てゐたからである。

 二葉亭氏を印度洋上に亡つた今日となつて囘顧すれば、つまらぬことのやうではあるが、わたくしは「あひびき」の一
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