つぱ》さに驚《おどろ》いた次第《しだい》であります。しかし私《わたし》は一度《いちど》この金《きん》の冠《かんむり》を頭《あたま》へのせて見《み》たことがありましたが、こんな冠《かんむり》やいろ/\の飾《かざ》りをつけてはその頃《ころ》の人《ひと》はさぞ重《おも》くて、きゅうくつなことであつたらうと思《おも》ひました。これは定《さだ》めし新羅《しらぎ》の古《ふる》い王樣《おうさま》のお墓《はか》でありませうが、その王樣《おうさま》の名《な》がわかりませんのは殘念《ざんねん》です。しかし大體《だいたい》日本《につぽん》の欽明天皇前後《きんめいてんのうぜんご》(今《いま》から千四百年《せんしひやくねん》ほど前《まへ》)の古墳《こふん》と思《おも》はれます。(第七十九圖《だいしちじゆうくず》)
[#「第七十九圖 慶州金冠塚發見品」のキャプション付きの図(fig18371_80png)入る]
かような塚《つか》は、こればかりでなく、その後《ご》おひ/\と同《おな》じような金《きん》の冠《かんむり》を納《をさ》められたのがたくさん現《あらは》れました。あの鳳凰臺《ほうおうだい》の南《みなみ》の
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