ゐたのでありますが、それ以外《いがい》にこの時代《じだい》には石《いし》を磨《みが》いてすべ/\した美《うつく》しいものに造《つく》り上《あ》げることをやり出《だ》したのです。また石器《せつき》の形《かたち》も大體《だいたい》は前《まへ》の時代《じだい》よりは小形《こがた》のものが多《おほ》く、しかも石器《せつき》の使《つか》ひ途《みち》によつて種々《しゆ/″\》異《こと》なつた形《かたち》のものがわかれて發達《はつたつ》して來《き》ました。例《たと》へば平《ひら》たく刃《は》が兩方《りようほう》から磨《みが》き出《だ》してゐる石斧《せきふ》、あるひは長《なが》い槍《やり》、あるひは庖丁《ほうちよう》といつたふうに、使用《しよう》に便利《べんり》な種々《しゆ/″\》の形《かたち》が出來《でき》たのであります。そしてそれらが皆《みな》、その後《ご》發達《はつたつ》して今日《こんにち》の金屬《きんぞく》の器物《きぶつ》になつて行《い》つたのです。またこの時代《じだい》の一番《いちばん》大《おほ》きな發明《はつめい》は、弓矢《ゆみや》が始《はじ》めて用《もち》ひられることであります。それは矢《や》の先《さき》につける矢《や》の根《ね》石《いし》があることでわかるのであります。投《な》げ槍《やり》といふようなものは、あるひはありましたかも知《し》れませんが、弓矢《ゆみや》のような飛《と》び道具《どうぐ》は、舊石器時代《きゆうせつきじだい》には見《み》られないもので、實《じつ》に新石器時代《しんせつきじだい》の新式武器《しんしきぶき》であります。この發見《はつけん》はちょうど近代《きんだい》における鐵砲《てつぽう》の發明《はつめい》と同樣《どうよう》、當時《とうじ》の人間《にんげん》が狩獵《しゆりよう》や戰爭《せんそう》の場合《ばあひ》、どれほど便利《べんり》で、またどれほど有效《ゆうこう》であつたかといふことは、今《いま》から想像《そう/″\》されます。たゞ今《いま》述《の》べたところの石器《せつき》は、この棚《たな》に陳列《ちんれつ》してあるように、世界《せかい》の各國《かつこく》から出《で》てゐるのでありますが、その形《かたち》はたいてい皆《みな》よく似《に》たもので、大《たい》した相違《そうい》はありません。(第二十九圖《だいにじゆうくず》)
[#「第二十九圖 ヨーロ
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