いま》までに發見《はつけん》された面白《おもしろ》い埴輪《はにわ》の模型《もけい》などが陳列《ちんれつ》してありますから、よく御覽《ごらん》になつて、今後《こんご》古墳《こふん》を調《しら》べる時《とき》に、こんなものゝ破片《はへん》などが落《お》ちてゐるかどうかを注意《ちゆうい》されるように望《のぞ》みます。(第五十二《だいごじゆうに》、三《さん》、四圖《しず》)
[#「第五十五圖 石人」のキャプション付きの図(fig18371_56.png)入る]
また埴輪《はにわ》の人形《にんぎよう》や馬《うま》と同《おな》じ形《かたち》のものを、石《いし》で作《つく》つてお墓《はか》に立《た》てたこともありました。これを石人《せきじん》、石馬《せきば》などゝ申《まを》してをります。しかしこれは日本《につぽん》のごく一部《いちぶ》に行《おこな》はれたゞけで、九州《きゆうしゆう》の筑後《ちくご》や肥後《ひご》などに時々《とき/″\》見《み》ることが出來《でき》ます。筑後《ちくご》には昔《むかし》繼體天皇《けいたいてんのう》の御時《おんとき》、磐井《いはゐ》といふ強《つよ》い人《ひと》がをつて、朝鮮《ちようせん》の新羅《しらぎ》の國《くに》と同盟《どうめい》して、天皇《てんのう》の命《めい》に背《そむ》いたので、とう/\征伐《せいばつ》されてしまひましたが、この人《ひと》は生《い》きてゐる時分《じぶん》から、石《いし》でお墓《はか》を作《つく》り、石《いし》の人形《にんぎよう》などを立《た》てゝ、豪勢《ごうせい》を示《しめ》してゐたといふことが、古《ふる》い書物《しよもつ》にでてをります。ちょうどこの磐井《いはゐ》のをつた地方《ちほう》に、今《いま》も石人《せきじん》石馬《せきば》が多《おほ》く殘《のこ》つてゐるのは面白《おもしろ》いことです。(第五十五圖《だいごじゆうごず》)
(ハ) 石棺《せきかん》と石室《せきしつ》
古墳《こふん》の形《かたち》と、それから外側《そとがは》に立《た》つてゐた埴輪《はにわ》について、たゞいま一通《ひととほ》りお話《はなし》したのでありますが、これからは、古墳《こふん》の内部《ないぶ》にある石棺《せきかん》と石室《せきしつ》のお話《はなし》をいたしませう。日本《につぽん》の古墳《こふん》は元來《がんらい》小高《こだか》い丘《を
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