のものか、無脚のものかもハツキリしない。これは山形に近い千歳山の邊から出ると云ふので、友達と一緒に、一度拾ひに行くつもりをして居たが、それは遂に實現する機會もなかつたのは、今日でも殘念な氣がする。
二
その後私は小學校を屡變へて、山形縣の米澤から、香川縣の丸龜、徳島から大阪へと轉々して、石器時代の遺跡が澤山ある東北地方から離れてしまつたので、前に集めた礦物標本中の矢の根石は、いつしか無くしてしまひ、石鏃の事も忘れてしまつた。處が明治三十年前後のことであるが、其の頃私達唯一の愛讀雜誌『少國民』の讀者通信欄に、神奈川縣の千葉幸喜次とか云ふ人が、自分はその地方で採集した石鏃を澤山持つてゐるから、郵劵を封入して申込めば送つてやるといふ文が載つてゐたので、矢の根石の矢も楯もたまらず、早速申込みをして一日千秋の思で待つて居つた處、大小三箇の石鏃が屆いた。その時の嬉しさ。千葉君の好意を胸に銘して、いつも鼻の油で磨きながら愛玩して居つた。その石鏃はたしか一つは長い柳葉形の鼠色のフリント、他は赤い色、白い色の石英の無脚形で、いまなほ私の匣底に、これのみは大學へも寄贈せずに、少年
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