た極樂寺のあつた處であると聞かされた。
 裏山の上に登りつくと、隆起珊瑚礁の草山には、野生の蘇鐵が庭木の樣にあちこちに生えてゐる。今日は生憎陰寒な天氣で風も強く、眺望には佳くない日であるが、慄へながら斷崖の上に立つと、牧湊の海岸が眼近に白く波打つてゐる。此の城址には古い瓦の破片が散在してゐるが、那覇の圖書館で見た「高麗瓦匠」云々と銘のある平瓦も此處から拾はれたものである。
 浦添《うらそへ》とは元來「浦々を支配する」の意味であつて、首都の樣であるから、首里以前舜天氏時代の都は此處にあつたと云はれてゐる。いま城址には何等見る可きものもないが、此の崖の下には有名な「ようどれ」の王陵があるのである。珊瑚礁の岩を切つて作つた階段に、足を滑らしながら降りて行くと石門があり、其の内に入ると、廣い芝生を前にした「ようどれ」の前に出る。

          六 「ようどれ」の王陵

 崖の上は先刻私達の立つてゐた浦添の城址である。蘇鐵の株が生えてゐる懸崖を直角に切つて其處に二つの墓が穿たれ、各アーチ形の入口を具へてゐるが塗込めてある。向ふの方の墓は古い英祖《えぞ》王(西紀一二六〇――九九)の陵、手前
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