盛の神酒を頂き、國寶の鐘を拜觀した處、これは又々日本全國に遺つてゐる朝鮮鐘數十口のうちでも、第六位に古いもので、顯徳三年太歳丙辰正月廿五日の銘がある。どう云ふ徑路で朝鮮から此處へ來たのかは分らないが、とにかく古來朝鮮琉球間の交通のあつたことを證明するに足りると思ふ。この鐘と一緒にしまつてあつた陽石は、これまた頗る雄偉なもので、K博士などに見せたかつた。
 波上宮の入口に近い護國寺には、かのペルリの時こゝに居つて英國の旗をあげ、基督教の傳道に從事し、遂に琉球語の聖書を印行した、べツテルハイムの記念碑がある。これには彼と關係のあつた歐米等十ヶ國産の石板に各國名(匈、伊、希、墨、琉、墺、埃、土、支、米)を刻して、碑石に嵌してあるのも面白い意匠である。又明治初年、臺灣で遭難した琉球人の碑も其の傍に立つてゐる。此の寺の隣りには天尊廟があつて、一寸面白い天尊の像がある。紺絣の老婦人連が蹲つて拜んでゐるかと思ふと、持參の辨當を食べてゐる。それから近頃やり出した郷土藝術の琉球燒の陶器店に立寄つて、宿へ歸つたのは未だ南島の日の沒しない夕方であつた。

          五 浦添の古城址

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