封使の歡待所で、支那風の設備を有してゐるのに反し、南殿は日本風の建物で、薩州の使者を接待した處であると云ふのは、如何にも琉球國の歴史を物語つてゐる。この南殿に接して、もと藩王の住居であつた邸宅の部分が殘つて居り、今は女子工藝學校になつて若い娘さん達が出入してゐるのは、却つて保存の爲めには善いかも知れない。こゝにまた物見櫓の跡が殘つてゐる。

          九 圓覺寺と崇元寺

 次に見た首里城の傍にある圓覺寺は、此の國に珍らしい七堂伽藍の揃つてゐる佛寺であるが規模は至つて小さい。圓鑑池の中島にある辯才天堂は遠望したゞけで、たゞ此のあたりの美くしい樹の茂みと、龍潭池の眺めを賞して那覇へ歸ることにしたが、途中琉球の神社建築として面白い眞和志村の安里にある八幡宮と沖宮とを訪ね、その調子の變つた蟇股や、柱にかけた假面の彫刻を見、それから崇元寺に琉球王歴代の位牌殿を見たが、この寺の門は首里から那覇への大道に接して立ち、三箇のアーチを開いた何の裝飾もない石造の直方體であるが、それが如何にも近頃の混凝土建築と同巧であるのが嬉しい、伊東博士は之を激賞して
[#ここから1字下げ]
「規模は大ならず
前へ 次へ
全43ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
浜田 青陵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング