見せてくれた溌溂たる奴を見ると、成程多少はそれに似た不氣味な形をしてゐるのみならず、頗る獰猛な鬪魚の種類であつて、近年は京都附近の川にも少し繁殖してゐると言ふ。その後釜山の小學校から貰つた郷土讀本を見たら、其の習性が面白く書かれてゐた。伯爵も特に此の魚を珍らしく思はれたと見え、『寶雲』誌上に連載せられてゐる朝鮮美術行脚の標題をば、「加牟流知《かむるち》」とせられてゐるのである。
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 一昨年平壤へ行つた時、黒板先生に誘はれて成川の書院を見に行つた。晝食を成川河畔の料亭でたべると、珍らしい魚が刺身にも燒肴にも出てゐるので、其の名を聞くと「セガレ」(?)と言ふ。その後滿洲國輯安縣の高句麗の古墳を調査する爲め、鴨緑江畔の滿浦鎭へ暫く滯在すると、殆ど毎日の樣に此の魚を食はされた。一寸オコゼにも似た形をしてゐるが、カムルチ的のムツチリした仲々捨て難い味を持ち、川魚と言ふよりも寧ろ海魚の味である。洋々たるアリナレの流れはさすが鴨川とは違ふ。其處に住む魚もモロコやゴリの樣なものではない。併し昨年また同じ滿浦鎭へ行つて、同じ滿浦館へ行つたら、「セガレ」は一寸顏を見せただけで、後は堅い牛肉などが出て來ると言ふ有樣であつて、此の魚もさうザラには捕れるのではないらしい。又同じ大きさの物も仲々揃はないと見え、數人の食卓にも一人には大きな奴が一つ、一人には小さな奴が二つと言ふ有樣であつた。
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 支那の料理は日本料理とは違つて、魚が餘り幅を利かしてゐないことは先刻諸君の知つてゐられる通りで、鯉魚とか※[#「喞」の「口」に代えて「魚」、第3水準1−94−46]魚とかゞスツカリ煮込まれて現はれて來る位であるが、南方では生魚も出ることがあると言ふ。先年北京の東興樓といふ料理屋で、蘇州の名物とかの生きた小蝦に味噌を付けて食ふ奴を出されたことがある。ピチ/\と跳ねる蝦を食ふのであるから、殘酷でもあり薄氣味が惡く、味を賞する餘裕もなかつた。然るに同席の支那の友人某君に「それはチブスに危險ですからお止めなさい」と言はれて、急に腹具合が惡く、それから一週間ばかり今日發病するか、明日參るかと心配したことである。後で聞くと、此の蝦は西湖の泥水の中にゐるのを捕るのであるから、丸でバチルスの培養基の樣なものであると言ふ。可恐、可恐。併し今に殘念に思ふのは、大正五年最初
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