又彼の事業に深い同情を捧ぐる年若い希臘の一婦人を、其の生涯の伴侶として娶つたのである。而してトロイやミケーネに、櫛風沐雨苦樂を共にして、遂に曠世の大發見を成就せしめたのは、實にアゼンス名家出たるソフィヤ(Sophia Engastronenas)夫人であつた。彼女は時僅に十七歳の妙齡で、シュリーマンとは三十歳も違ふ娘の樣な若さであつた。
 併しながら教養に於いて趣味に於いて、彼女は實際シュリーマンとは比ぶ可くもない優れた人物であつた。「彼女は其の夫に向つて神の顯現とも云ふ可きものである」と、シュリーマンをして書かしめたのも無理もないことである。二十年前あこがれの希臘に旅する機會を得て、アゼンスに著いた私は、アクロポリスの上のパルテノンと共に、第一に見ることを願つたのはシュリーマン夫人であつた。而して私はシュリーマンの古い親友であつたセイス老先生から
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“This is to introduce a Japanese friend of mine, Mr. Hamada……………who has been a student and admirer of your h
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