にすぎないのでした。意見のちがいだけではありません。生きるということからしてちがう意味でちがう方法であったようです。
「父様は食べないでも食べた風をよそおう人なのよ。お金がなくともあるようにみせる方なのよ。貴族趣味なのね」
 私はよくそう申しました。父には、そういう孤りで高い所にいるといった誇のようなものがありました。でも、父と私と一つだけ、ほんのわずか愛し合うことの出来る時がありました。絵を描いている時と、陶器を愛玩する時でありました。私と父は無言で喜びをわかちあうのでした。展覧会に行って私達は二人の世界を見つけておりました。一つの筆洗が二つの絵をそれぞれつくり上げる時に、私達だけの安息場所を感じていたのです。母もはいることの出来ないところでした。一つの仲介物があって、それが父と私を和合させていたと云えましょうか。
 私は父の机のところに行きました。この間少し気分のよい時に、私にまとめさせた句集がありました。

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いつまでの吾が命かやほたる飛ぶ
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 句集を何げなく開いたところにこの夏の作がありました。私は信二郎の部屋へ行きました。信二郎はダイスをころがしながら口笛をふいておりました。
「口笛、お止しなさい」
 私は、少しきつく云いました。信二郎は、素直にやめました。そうして、
「姉様、父様は死んだ。僕は生きる。父様の行き方を僕はならわない」
 と、むっつりした顔で云いました。
「信二郎さん生きるのよ。でも、父様の選んだ道はあれでまたいいの。軽蔑出来ないの、若し、あなたが自殺したなら私はゆるせない。父様がお死にになったのは、いいのよ。いいのよ」
 私は、ふと兄の事を思い出しました。兄にしらせねばなりません。お体にさわるといけないけれど、とにかく後継者なんだからお呼びせにゃならないし、そのことを、母と叔母とに相談しました。
「信二郎を呼びにやりましょう。唯、御病気がひどくなって、とうとう駄目だったことにして」
 結論はそういうことになって、信二郎は、しぶしぶ病院へ行きました。人が多勢、入れかわり立ち代りにやって来ます。その接待をしながら、私は父の死を感じないのです。白い絹でふとんを作りながら、私は、それが、父の体をつつみ、木の箱の中におさまり、やかれるのだとは思えません。昔長く家にいた女中が、午後来てくれて、私はすっかり
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