を呼びました。母に電話をかけました。とにかく、すぐに帰えるようにとのみ伝えたのでした。私は何をすればよいのやら唯茫然としたまま父の顔をみつめております。けれど、悲しいとか、お気の毒だとかいう感情はちっとも湧いて来ません。信二郎は父の机の抽出しをゴソゴソかきまわして何もないというなり部屋へはいってしまいました。父は、嗅薬を飲んだのでしょうか、その劇薬が、からになっており、コップに水が半分のこっておりました。昨夜、少しの呻吟もきこえなかったことが私には不思議に思えました。あの目がさめて起き上った時は、もうすでに死んでいたのでしょうか。父の死が、本当だろうかと疑う気持さえ起りました。叔母が、湯を沸して持って来ました。母が帰りました。私も手伝って、死体の処置をいたしました。母は口の中で神勅をとなえながら泣いております。春彦を呼びにやって近所の心やすい医者がまいりました。私は父の死の動機が、病苦からか、神経衰弱がこうじたからか、或いは虚無か、貴族の誇のためなのか、考えてみようと致しました。が、すぐに、どうでもいいじゃないか、という気持になって、一人自分の部屋へはいって昔の父のことを回想しはじめました。
父は孤独な変人でした。人から愛されない人でした。友人を一人も持っておらず、順調に育ったであろう筈の父は、妙に意地けて、ゆがんだ性質でした。若い頃、マルキシズムにはしったこともあったそうです。そんな父が、たった一つの憩いの場所の家庭に於いて親しもうとしながら、かえって子供から、はなれられたことは、父の最も不幸なことだったかも知れません。でもこれは子供達の罪ではありません。父の性格と時代のへだたりのせいでした。父は自分から孤独のからの中にはいっておりました。父は又、恋愛などは罪悪のように考えていたようでした。母との結婚は勿論親から決められた平凡な御見合結婚でしたし、私の記憶上、父が女の人の名前すら云ったことはないようでした。私達が、冗談半分に、どこの奥さんが美しいとか、誰の型《タイプ》は好きだとか話しますと、大変嫌な顔をいたしましたし、新聞などの情事事件をあれこれ批評することも、父の前では出来ませんでした。私達子供が成長するにつれ、父との距離はどんどん遠くなって行くのでした。母はと申しますと、父よりも神様、なんでもすべて神様でした。私達は肉体的にのみ親子であって、同じ姓を名乗る人
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