兼ねて、夫の郷里へ墓まいりに行ったのは、秋立つ頃で、いろいろの草花がかなしいいろを田舎道にみせていたが、私達はそれさえ気に留めずに幸福感にひたりきっていたのだった。その広大な地所は、終戦後、不在地主とやらでただどられのようにとられ、その後どうなっているのかさえ知らない。避暑用の夏だけの別荘も売り、更に焼けのこった神戸市中の邸も売りはらい、道具もさばき、私は夫の留守を、六つになるたったひとりの男の子行雄と共にどうにか生きて来たのだった。私の実父母も、とうに死んでおり、親類というほどの人もなく私にとってそれは気楽だというもののさびしいに違いなかった。
今は郊外の小さな家を借りて、まだまだ話相手にもならない行雄と、私のおさない時から世話をしてくれていたじいやの作衛と暮しているのだった。彼は暇をやった多くの下女や下男のうち、「奥様のためなら、じいは御月給もいりません」と私達母子の生活のはしくれに加わったのだった。そうして私は、若い娘の頃、習いおぼえた絵ざらさが役立って、テーブルセンターや日傘やネクタイなどをかき生計をたてていた。ところが仕事がだんだん忙しくなり、布の豆汁ひきや仕上げの蒸すこと
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