知ったのである。私は作衛に今度は同情される立場だった。私は夫との生活を思い起し感傷に満ちた日を送った。そしてそのあわれな気持、孤独のかなしさを、創作してゆくものにはき出しながら、何んとかかんとか来たのだった。昔、やすく仕入れていた絵ざらさの材料や木綿布が役立って、始めはほそぼそと友達などに頼み、注文をとっていたが、それがだんだんひろまり大きくなったのであった。そして忙しさが増す、私ひとりじゃきりまわされない、で、若い姐をやとったのが、それがまたおはるという少しびっこの娘だった。右の眼は全くみえず不器量な娘だったけれど、口ばかりはいやに達者でつっぱねたものの云い方が妙に魅力でもあった。この姐が今まで作衛の寐起きしていた玄関脇の三畳に入り、作衛は台所横の食事をするところに寝ることとなった。私達母子は夫の写真をかざっている仏間と製作室と寝室をかねた六畳で一日の大かたを送った。そうしているうちに作衛がおはるをかわいがるのが目にたつようになって来た。風呂たきや使走りの他に、おはるの仕事である掃除や洗濯を手伝ったり、朝もはやくから起きて、ごはんのたきつけ、おはる個人の用事までやっているようだった。けれども親子ほども年のちがう作衛とおはるのことであるので私は気はつくものの、作衛もアメリカ式に女に親切しなけりゃいけないと思っているのだろうと苦笑しながら放っておいていた。
がある寒い晩、私が図案かきに夢中になって十一時をすぎた頃、手洗いに行った帰りにふと台所横をみるとそこには作衛の寐床がとってあったが作衛はいない。私は何か嫌な感じを胸に抱いた。すぐに奥の居間へ帰ろうとすると、小さい声の二人の話声がきこえる。おはるの部屋であるが電気はついていない。
「もうすこし右、そう、もうちっと強く、ああいい気持」
おはるの声である。
「ここか、きつういたむのか」
作衛の声である。私はあし音をしのばせて居間へ戻り、風呂敷をかけ低くした電燈の下でほほ杖をついたまま暫くぼんやりしていたが、おはるもおはるだ、じいさんに按摩をさせるなんて、じいさんもじいさんだ、と腹立しくなって来た。私がおはるを呼ぶ毎に、作衛は妻を思い出すより現実のおはるをだんだんその胸の内に意識するようになったのであろうか。そういえば、作衛の動作に、今までみられなかった若さが動きはじめて来たようにも思えた。おんなじ名前、そして脚がや
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