って行った。おはるはもう結婚したことも、離縁になったことも何ともない様子だった。私はそれから一時間、きまって十時頃、御茶をいれることの習慣を忘れて、ぼんやり坐っていた。作衛がかわいそうだったとおもった。作衛は、本当におはるを愛しているのだと思った。その夜、私はとうとう決心して、作衛に故郷にかえれと云った。熊本の田舎、そこは私の先祖の地でもあった。作衛は黙ってかすかにうなずくと立ち上り、荷物などまとめはじめた。私はふと幼い頃、作衛の背に負われて、盆踊りをみに行った事を思い出した。作衛と別れることは悲しかった。辛らかった。御餞別を包んでやると、始めは辞退したが、やっとそのやせた胸におさめた。
「明朝、かえります。おくさま、ぼっちゃま、お達者でおくらし下さい。じいはひとりぼっちで死んでゆきます。故郷だって、誰もいやしません。死水をとってくれる人もおりません。勿論、おはるに会いません。でも奥さま、これだけ申します。おはるが離縁になったのはわしのせいじゃございません、わしはおはるの亭主に会っておりません、本当です、あれが離縁になったのはあれが不具《かたわ》だったからなんです。結婚したって子供もこしらえること出来んのです。じいはそれをとうから知ってたんです」
 空がにわかに、くもって、雨がふり出した。梅雨に入ったのだと、私は庭先に眼をやった。作衛の語ったおはるのことなど、もうどうでもよかった。が作衛と別れるのは、私にしてもやはりさびしいことだった。
 翌朝、起きてみるともう作衛の姿はみえなかった。「坊ちゃまに」と、たどたどしく書かれた紙きれと共に木で作った船がおいてあった。ゆうべ、よっぴて作りあげたのだろう。ちゃんと帆柱をたて、帆まで張ってあった。その布は、なつかしい作衛の働着だった。さつまの絣の私の長い思い出のものだった。貧しい贈物を喜んだ行雄は、それを小さな手洗鉢の流れで、浮かばせながら遊んでいた。その姿をみながら私は二人っきりの生活が一番いいと思った。行雄と私の間をさくものはない。私はどんなに行雄を愛したっていいのだ。行雄の眼に、ふっと夫をみた。私は行雄を呼んだ。
「お母ちゃま、何」
 かけ上って来た行雄を私は縁側にしっかり抱いた。
「何? 痛いよう」
 強く抱きしめた両手の中で行雄はどたばたしていた。
 作衛は今頃、汽車にのって入歯をかたかたさせながらどんな気持だろうか
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