や、好きな小説を題にしたりして六十点ばかりいろいろこしらえた。幸い、援助して下さる方が二三人いて、布のこと、会場のことなど、すっかり御世話になった。私は「芥川龍之介の秋」という題のセンターが自分では一番気に入った。セピアの中にあいの線を活かしたさびしいものだった。行雄が傍に来て一つのネクタイを指し、これがいいと云ったのは、シューマンの歌曲の中の「うるわしの五月」だった。それは濃いみどりの中にあさいみどりとえんじで木の葉のくずした模様を書いたものだった。夫はシューマンが好きで、私に伴奏を弾かせてよく歌ったりしたものだった。そのピアノも財産税にかわって、とうの昔、お国に差上げたものだったが。
行雄は夫の感覚を多分に受けついでいるようだった。その事が私をよろこばせ、「うるわしの五月」は夫も好きな曲だったし、行雄が大きくなるまでとっておいてあげようと思った。
神戸のとあるギャラリーで展覧会及即売会をしたのは、五月のはじめ、ついこの間のことだった。おかげでのこることなくみんなさばけ、文壇人からもおほめの言葉をいただいたりした。そのいそがしさが終った頃、ひょっくりおはるがあらわれて、兵庫に住んでいることを告げた。作衛は折悪く、その時裏で薪割りをしていた。私は二人がどう云い合いをするかびくびくしながら成行きをみていた。作衛はあれ以来、一時すっかりしょげこんでいたが、最近使いに出すと、帰りには必ずのように飲んで来るようになっていた。どこから飲代が出るのかしらと一時は疑ぐったが、それが死んだおはるの着物などであるとすぐに諒解出来た。そして赤くなってふらふらで家までたどりついた作衛は必ずおはるのことを話し、今度会えばころさんばかりのいきおいだったのだ。ところがその日、作衛はおはるを見るとあの時のいきおいはすっかり消えて、何くれ親切に物をたずねたりしているではないか。私は不思議だったけれど喧嘩にならないのがさいわいとほっと安心した。でもそれはその時だけだった。というのは翌日作衛が兵庫のおはるの新家庭を訪問したのである。そのまた翌日おはるが再び家へ来て、私に、それとわかったのだった。思えば作衛は、私の前で口喧嘩したりする事をはばかっていたのだろう。とにかく一大事件が起るにいたった。
おはるがいうには、自分が勝手で洗濯していたところへ作衛がやって来て、どうしても俺のところへ帰って来いと
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