て、小さな練習室にはいってガンガン鳴らす。音楽理論や作曲法や実技がある。そして又二時間たっぷりかかって帰る。
 その生活は最近の女学校生活の時より、もっと不愉快であった。凡そ音楽的な感覚のふんいきと云うものは見られなかった。私はよく狂人にならないことだと不審に思った。防音装置がたしかでない練習室なので、隣や向いの部屋のピアノの音が絶えず耳にはいる。バッハやショパンやエチュードが、ごったがえしになっている。だからそれぞれ、ピアニッシモはそのままフォルテを継続してひかねばならない。戦争中のあの弾の音よりも、もっとかなしい音である。それにピアノはがたがたで狂っている。私は他の生徒が平気なのが不思議で仕方なかった。音楽ではなかった。街の雑音の方がまだしも音楽的であった。私は一週間目に行く気がしなくなった。作曲法や理論の時間だけ顔を出し、他の日は毎日大阪で映画をみてかえった。朝家を出て、かの未亡人のところで一日遊んでいることもあった。冬休みが始まると同時に私はその学校もよしてしまった。私は神経衰弱になっていた。熟睡することが出来ず絶えずバッハのインヴェンションが頭の中にぐるぐるまわっていた。楽譜
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