まるで捨ててしまえという自分以外の力。戦争や、その影響をうけた教育など。耳にきこえるもの、言葉、目でみるもの、文字。それらが、皆私の反対の位置であり、私を苦しめた。私はそこからうまれたひどい虚脱状態の後、私一個の生命に対して愛やあわれや深い意味ある感動を、全く失ってしまうことが、かえって、私の生命をひっぱっていてくれるように思えばよいのだと考えなおした。

     第五章

 年があらたまって、上級生は次々と動員されて出て行った。三学期に新しい国語の教師をむかえた。女の独身の情熱家であった。私は彼女の浅黒い粘り強い皮膚に異様な魅力を感じた。彼女は頭髪を一まとめにして後で束ね、眉間にいつも皺をよせ、なまりのある語調で(九州人であることはじきにその言葉でわかったのである)高村光太郎の詩を朗読した。その詩は九軍神に捧げられた勇しい詩であった。
 彼女の手に触れたいと思っていた私は、ある授業時間の始まる前、故意に出席簿を先に持って来ており、それを教壇のところにたっている彼女の前へうやうやしく持って出た。
「ああ、探したのですよ、教員室にないかと……」
「失礼しました。ちょっとしらべ度いことが
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