特殊な場合があったとしても、それは世間的に通用しなく、弱さを無理にカヴァーして意地をはっているようにしか思えなかった。私は両者ともひどく軽蔑した。そして自分をもその中にふくみこんで自己嫌悪した。
女が鏡をみるのは、自分をみると同時に、自分がどんなにみえるのかを見るためだ、とある作家が云っていた。私には、それぞれの女性が、たえず自分がどんなにみえるかのために、あらゆるポーズを試みているように思われた。女が其の恋愛をしてみたところで、それは真の恋愛をしているその瞬間の快楽よりも、そうすることの得意さ、人の目に映じる自分の姿に対する自己満足にすぎないように思われた。(それが女性の快楽であるかもしれないが)今まで、涙ながして何度もみた恋愛映画に於いても、私は思いかえしてみて、そこにあらわれたいろいろの女性は悉くそう云った自己満足のように思われた。それがハッピーエンドにならなくとも、女は又、その悲劇であることを誇らしげに吹聴し、苦しみもだえることは、苦しみもだえてみせることであるにちがいなく、恋愛でない場合にしても、女流作家が小説をかいて発表するのも、女代議士が立候補するのも、同じように本当の
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