ろで何にもなりますまい。自分の悪い行為を人に告げてその苦しみが軽くなるようには私には思えません。しかもです、あなたは、たかが音楽教師にすぎないじゃありませんか」
 私はそんなことを長々と喋ったように思われる。彼はピリピリと眉を動かし他の教場にまできこえる位の大声で私をののしった。私はかっとなってますます反対を押し通しだした。他の級友の中で、二三人が私を支持した。
「日記は人にみせるものではありません」
 私へ毎日手紙をくれる瞳の大きい背の低い子がそう云った。他の大勢は半ば彼をおそれ半ばこの事件に時間がつぶれることを喜ぶような表情で私と教師の顔を見比べていた。私は自分の熱い頬に涙が垂れるのを知った。これは少女的な興奮の涙であった。
「悪趣味ですね、人の悪なる行為をききたいとは……」
 私はへんな笑いを浮ばせながら、涙声で云った。私は自分の罪をふっと目の前に浮ばせた。窃盗。カンニング。偽った行動や言葉。私は椅子にどっかり腰をおろした。
「先生。今あなたの満足がゆくように、私が従順に書いたとすれば、答案紙をひろげたあなたは驚愕と恐怖とそして後悔、そうです。あなたは自分の行為に後悔してしまう。たとえば、私が、淫売行為をしたとする……」
 組の中では大きな笑い声が発散した。しかし、この言葉を知らない人の方が多かった。教師は、私にあきれて物が云えないというような表情で私の顔を凝視していた。
「あなたは答案紙に勿論、可、あるいは不可とつけるでしょう。私の心理も、私の行為の動機も知らないで。唯、不可とつけるあなたは、実に無責任なことです。あなたがそこで若し、倫理の教師として考えることをしたならば、不可をつける前に、自分の責任が大きすぎて後悔するでしょう。感情的なおどろきおののきの後で……」
 彼は、非常な怒りでチョークを投げつけ、このことは一時おあずけだというような曖昧な言葉をのこして出て行った。
 私のこの事件はすぐに学校中ひろまった。私に対する生徒の眼がすっかり変ってしまった。私は不良少女だということになった。教員室では私の導き方をどうすれはよいかと論議されていることをかの国語の女教師より耳にした。私は主任から又叱責をうけた。
 学期が終り、通知簿の公民のところに、良としてあったことは私は全くおかしくてたまらなかった。
 不良少女は二学期になってもその名は消えなかった。私のファンはだんだん減って行った。あの事件の時、私の意見に賛成した少女だけは私にまだ、すみれの花のカードなどくれた。私はゴヤの絵のような彼女をかわいがった。私はだんだん学校に興味を持たなくなった。そしてつまらない学課の体操や裁縫や商業の時間は殆ど欠課した。体があまり丈夫でなく、戦時中の疲労がその頃になって出て来て、私は歩くことさえ苦痛であったから、医者の診断を出して時々の欠課を大目にみてもらっていた。私は休養室で寐ながら、青空をみていた。小さな翻訳小説をふとんの中に押し入れてよんだりした。だんだん大胆になって、早退し、帰りに古い洋ものの活動写真をみに行ったりした。不良少女はほんものになって来た。私は一日学校をさぼって京都の寺院を訪ねたりすることもした。家には内緒で欠席届をかいて出した。私は、空気が自分の体に痛みを与えるように感じだした。秋の空気は真空のようであった。私は自分が生きてゆくことが非常に不安になりだした。何故生きるんだろうかと考えた。そこには何も幸福らしい幸福は発見出来なかった。私は、勝手気儘に生きたいと思いながら、それが不可能であることを知っていた。規則。法律。そして、未だに封建的な固いからをかぶっている家庭。学校での興味のない生活。数学をといても、商業の形式をならっても私とは凡そかけはなれた無理な勉強であった。私は何も喜びを見出すことが出来なくなった。束縛を嫌い、しかもその束縛からぬけ出る方法を知らなかった。私は、自分の感情だけで自由奔放に生きてゆきたいのだ。それなのに、家庭。学校。社会。すべて自分の感情を抑制し、無視し、自分らしい自分を伸ばすことが出来ないで生活しなければならない。人間とは、何とつまらない生活をしているのだろう。私は何事もする元気を失った。私は数珠を最期的に手から捨てた。私はすでに、神や仏を信じてはいなかった。称号を唱える刹那に於いても、不安と疑いの念がむくむくと心から湧いていた。私はすべてから虚脱状態にはいってしまった。私は仏教の書物を売ってしまった。そのわずかなお金で私は街に出た。街といっても戦後の殺風景なバラック建の店屋である。そして闇市。ここには中国人の濃い体臭と、すえた食物の臭いがぎっしりつまって細い道の両側は喧噪としか思われなかった。私は何か欲しいものはないかと考えた。何もなかった。夕ぐれ、私は絶望と混迷と疲労とで家にかえった。そ
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