がどうしても、あの人形がほしいのだ、と私は云い張る。じゃ、マネキンの部屋へ連れて行ったらきっと恐しがっていやになるでしょう、と母は支配人にたのみ、私はそのうすぐらい部屋にはいりこんだ。そこには、首のちぎれたのや手足がバラバラになったのやら、婦人や子供やいろんな大きさのがならべてある。私は、大人たちの計画通りには行かなかった。ますますその不気味なボディーに愛着を感じ、今度は、その倉庫の、裸の婦人に抱きついてはなれない。その人形は、表情も固かったし、手足も細く、私の頬ぺたに、その足が冷たく感じたのだけれど、私は妙に好きでたまらない。母は、私の尋常でないことをおそらく恥じたのに違いない。泣きさけぶ私は、両手を母と女中にひっぱられながら無理に百貨店を出されてしまった。電車にのっても泣きやまない私に、
「東京の御土産にパパに買って来て頂きましょう」母は優しい声で云った。
 私はやっと確かに約束をさせて、丁度、一週間後に東京へ出張した父の帰りを指折かぞえて待った。父は一カ月に一度位、東京へ出張した。そして必ずお土産に兄弟に一冊ずつ本を買って来てくれた。私の弟は、私のために放任主義がつづいて、自由に何でもよんだりみたりすることが出来たので、四歳の時から本に親しんだ。彼が、天才あつかいにされ、神童呼ばわりにされたのも、私の恩恵であったのに、私はそのため随分ひけ目を感じてしまうことも度々起ったのだ。
 父を出むかえに、その頃、出張は必ずつばめの白線のある車で、日曜の朝着くことになっていたから、母と子供達は自動車で迎えに行った。私は、あの大きな人形と毎晩一しょに眠れるんだと、胸をときめかしながらプラットホームに待ちかまえていた。ところが、父は革鞄の他に何も持っていない。
「パパ、お人形は?」
 私は、おかえりあそばせ、も云わない先にきいた。
「この中だよ、お家へかえってから」
 私は屹度、手足がばらばらに取りはずし出来るようになっており、革鞄の中にきちんとはいっているのだろうと、踊る心を押えて家へ帰った。鞄をあけて、兄弟は中を一斉にのぞきこんだ。読書ぎらいの兄は、又本かと云うような顔付で包を受けとった。姉はきれいな英語の漫画の本であった。ところが私には、四角い箱がわたされた。それは、あのお人形の首だけしかはいっていない位の大きさであった。私はそれでも、わずかな希望でもって、その包みをほどいた。中にありふれた人形がよこたわっていた。小さな胸に、あんな憤りを感じたことはそれ迄なかった。私はいきなりその西洋人形の髪の毛をひっつかみ柱にぶっつけた。ママーと云ってその人形の頭は砕けた。
「パパは嘘おっしゃったの、ママも嘘おっしゃったの、ボビはわかったの、わかったの」
 その日から、私はもう大人達を信じなくなった。そして、自分の心の中をすっかり閉ざして誰にもみせないようにしてしまった。そして又大きな裸の人形と眠るゆめが、やぶれてしまったという失望と――その頃はもう、乳母の乳房をいじることは、弟の手前、出来なかったのである――大人に欺されたという腹いせとが、私を妙にこじれさせ、恐しいことには嘘をついてもよいのだという気持が、もこもこと起き上って来たのである。そしてその一種の嘘が、空想したり想像したりするたのしみをつくらせた。私は平気で自分をつくり話の主人公にして、弟や女中に話をしてきかせた。
「ねえ、きいて頂戴、ボビはねエ。遠い遠いお国で生まれたの、ママもパパもなかったのよ。たくさんの木があって、兎や鹿がボビを育てたのよ」
 私は毎日ちがった話をつくり出した。そうして出鱈目な話をしてみせることがどんなに愉快なことであるかを知った。小さな頭一ぱいに、お星様やお花畠をおもい、美しい人達――それがどうしてもあのマネキンの裸像であったのだ――が踊ったり歌ったりしていた。

 私は、大人達が親切にしてくれることを喜ばなかった。私の家は、大家族であり、父の兄弟は分家していなかったし、祖母が健在であったから、お正月だとか、祖父の命日だとかには必ず、大勢の人達が集った。そんな時、私も、きちんとした身なりをさせられ、御挨拶せねばならない。ところが私は、大人のおほめ言葉を真に受けなかったし、物をくれようとしても、それが何かの手であるように思えたから受けとらないで、大人も、私をひんまがった子だと自然目もくれないようになった。それに、弟が派手な存在であったのだ。弟は母の容貌に似ており、愛くるしく気品があった。大伯母や叔父達はみな弟をかわいがった。
「アンダウマレノミコト、って知ってる?」
 これが、五歳にならない弟の作ったナゾナゾだった。
「誰方でしょう。どんな神様?」
 大人達がきく。
「あんネ、ヤスダセイメイのことさ」
 大人達は本心驚いた。人の話をきいたり、新聞のふりがなをそろ
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