まもない頃であった。丁度、盗難事件が起り、朝はやく来ることを禁じられるようになったので、私の習慣はなくされ、したがってだんだん片一方の極へ自分を動かせるようにもなった。
 私は友達を得ることは出来なかった。私立のこの学校のモットーは、しとやかに、さわやかに、ということであったから、まことに静かな女性達ばかりが私の附近に居るような気がして親しめなかった。別に友達がほしいとも思わなかったし、かえって、孤独であることが私の持つ第一に挙げられるべき個性のように思っていた。私は入学早々幹事になった。免状をもらって一年間号令をかける役を仰せつかった。朝礼では先頭にたっておらねばならなかった。私の声は低音で響きがあったから他の級長より目立って号令らしい号令であった。私にとってこの有難い役目で唯一つ迷惑なことは人数をかぞえることであった。朝、笛がなると整列させて、組の出席人員と、欠席人員を報告せねばならなかった。副級長と二人で後の方まで数えてゆく。私はどうしても、一、二三四……で二倍する――二列縦隊であるから――計算が出来ず、チューチュータコカイナ、そして左指一本折り、又、チューチュータコカイナで二本目を折り重ねてかぞえなければわからなかった。それに、在籍人員から出席人員をマイナスすることが容易じゃなく、報告する前に数秒かかって口の中でくりかえし計算し、電車の事故などで遅刻者が多い時など、どうしても副級長に計算してもらわねばならなかった。私の数学に対する頭脳は、小学校三年程度であった。戦争が激しくなるにつれてすっかり女学校も軍隊式になって来、号令やら直立不動やら、このしとやかである女学生もいささかすさんでは来ていた。私は一分として動かずにたっていることが苦しくてそのためたびたびしかられた。又、歩調をとって歩くことも大儀であったから、教練(軍人が来て、鉄砲の打ち方などならう必習時間があった)や体操の時間には列外へ出されたり居残りさされたりして何度も何度もやりなおしを命ぜられた。幹事たる資格は全くないようであるが、私は責任感だけは人一倍強く、いさぎよい位に、罪を一人で背負うことは平気であった。ここが、級友や教師に買われたのかも知れない。
 その頃は防空壕を掘ったり、土をはこんだり、畠でいもをこしらえたり、正式の教室内の授業より、作業の方が週に何時間も多く、戦時でやむないとはいえ非常な労働であった。私はよく働いた。名誉ある役目がら、しなければならなかったし、信仰の精神が、働くことの喜びを私に強制したのかもしれない。数珠を右腕にまく私は、教師や生徒から変人あつかいをうけていた。それに私は口のまわりにひげが生え出していた。母は幼い頃から子供の顔をそらないように床屋に命じていたので(私達は月に一回、床屋が出張して来て日のあたるヴェランダで、消毒のにおいのするヴァリカンを首すじにあてられることを習慣としていた)うぶ毛が顔中密生していたのだが、私のは殊に濃く、それが女学校へ入った頃から目立って来ていたのだった。まゆ毛は左右太く大きく真中で堂々と連結しており、上脣のまわりのは波うつ程であったのだ。同級生から笑われた。何故そらないのかと云われた。私は、その理由からも、かわった人だ、と思われた。私はこっそり父の安全カミソリで、眉毛と口のまわりの毛をそり落した。まゆ毛はかたちんばになり、猶更わらわれた。カミソリの効果は逆であり、ますます濃い毛がニョキニョキと生え、私は遂に剃っても剃っても追いつかずに断念してしまう気持になった。そして髪の毛さえ手入れしなくなった。三つ編みにしたり、おさげにしたり、肩のへんでゆらゆらさせることが面倒で、朝起きても櫛を使うことは滅多になかった。ガシャッと大きなピン一つでとめて、後からみればまるで嵐が起っているように見えるらしかった。
 もんぺをはいて防空鞄をさげ、防空頭巾やゲートルや三角巾や乾飯をその中へつめて毎日持ち歩いた。未だ国土来襲は殆どなく、夏の間は、近くの海岸へ泳ぎに行ったり山登りをしたりすることが出来た。顔や手足は真黒になり、私の身体は健康であったけれど、秋になる頃から、私の持続していた南無阿弥陀仏の信仰があまりにもたやすすぎ、かえってそれが不安になりはじめた。私はもっと苦しまねばならない、もっとこらしめを受けねば救われないと思い始めた。称号を唱えながら唱えている自分がはっきりした存在になり、没我の境地にはいれなくなった。私は私を意識することが、私と仏の距離を遠くした。私は禅の本にふれてみた。菩提寺の和尚に話をきいた。大乗か小乗か、自力か他力か、私はこの岐路で相当考えなおしはじめた。心の平和は失われていた。しかし私の年齢の頭脳で、はっきりした確信をつかむことは不可能であった。私は気分をその迷いの中から他の方向へ転じさせた。絵を
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