。私はふりかえってにっこと笑うと、その花束をしっかり握ってかけ戻った。その時、急に女の児達は走り去った。
「センセ、センセヤー」
 がたがたと鞄の中で筆箱がなった。子分は親分を捨てて行ったのだ。私は、もう金網を越える元気もなく悄然とたっていた。先生がやって来た。受持の長い顔の男の先生だった。
「何しているの」
 私は、つかんでいた花をみた。すると、二三枚しか花びらはついておらず、芯だけのこった丸坊主頭が六本ぐんなりなって手の中にあった。ふりかえった。白いラインに並行して、赤や紫のその花びらが点々と散っていた。私は突然泣き出した。先生は棒切れで、金網の戸の内側の鍵をたやすくあけて、私をひっぱり出した。

 今までのすべての悪事は露見した。私は、なかなか謝らなかった。
「ほしいからとったの」
 くりかえして私は云った。
「お母さんに云いつけます」
 この言葉で私はすっかりまいってしまい、平謝りに謝った。先生は、私の机の中にのこっていたものを一切文具屋に返しに行ってくれた。私はその日から、立派な金銀の甲冑をはがされた武士のようになってしまった。休み時間に遊ぶ気もなく、ひとりしょんぼりしていた。もう誰も私を尊敬してくれず、取りまいてもくれなかった。試験をみせてくれる友達も居なくなった。
 しかし、私は規則をまもらないことや、嘘をつくことは、やめられなかった。そのため私は教場でたびたびたたされた。頭の上に、重い謄写版の鑢をのせられ、一時間中黒板の横にたったこともあった。しかし別に恥しいとは思わなかったし、たたされながら、他のことをかんがえていた。
 その頃の私のたしなみの一つに、物を誇張して人に伝えることがあった。学校で生じた些細なことを、引伸しくりひろげて家の人達に話す。父や母は面白く或いは悲しげにそれをきく。自分の出来事でも、それを非常に強調するのであった。遠足に行って冒険をした。岩崖をはい上った。階段から飛び降りそこねて脚を打った。近所の子供が蛇を私の首にまきつけた。運動場を十ぺんかけまわった。こんなことが夕食の時もち出されて賑やかにした。
 私達のクラスで一番よく出来る男の子が、或る日、岩波の本をよんでいた。その年頃には、みな大きな形の絵入りの大きな活字の本ばかりよんでいるのに、彼一人、父の書斎に並んでいる、内容がいかにもむつかしいような岩波文庫をよんでいたのに対して、私は大きな尊敬をいだいた。しかしその本は私も今まで読んでいたアンデルセン童話集であったのだ。私は家へかえって、漱石の坊ちゃんだと父に告げた。何故、そんなことにわざわざ嘘をつくのか、その原因はわからないままに、大人が驚く姿を喜んだ。

 私の家は、子供四人に、女中が三人、乳母と両親の家族であり、部屋数も随分あったけれど、古びていて何かと不便であったので、大規模に改築することを、水害の翌年行うことになった。新しい木の柱の臭いや、うすいおが屑は、私に、海辺の毎日を思い起させた。大工さんと、船頭さんとの間に、何か似通った一つの魅力があった。毎日学校からかえると工事場へ行って邪魔にならないように仕事をみていた。二階に私と姉の部屋として新しく日本間と洋間が出来、離れの陰気な病室は、やはり二間つづきの兄の部屋になおされたし、応接間はすっかり壁紙が代わり、ベランダがつけられた。母は、私と姉の部屋に、きれいな飾り戸棚のついた箪笥を二つ並べてくれた。洋間の方には、椅子と机と本箱を新調してくれた。そして壁紙の撰択や、カーテンの布地は子供の好みにしてくれた。私は、うすねずみ色の地模様のかべ紙に、ピンクのカーテンをしたいと望んだ。姉はクリーム色に緑のカーテンをかけたいと云い張った。結局、壁はクリームになり、カーテンはピンクになり、デンキスタンドのシェードに、姉はみどり、私はうすねずみ色に花のとんだのを母は与えてくれた。急に何だか一人前になったような気がして、その当座はいくらか勉強に精出したようであった。しかし、算術の出来のわるさは、ずっとつづいて、それが、数学と呼びかえられるようになって、もっとひどくなったのである。
 改築の御祝いに、お友達を呼ぶことになった。その頃、東京から転校して来たアイノコが組《クラス》にいたが、私は彼女がとても好きになり――というのは、私の悪事を知らないという安心感があったのであろうか――たった一人彼女を家へ招いた。歯ぎれのよい江戸っ子で、派手なアメリカ風の気のきいた洋服をきており、顔立は西洋人形みたいだったから、母はこの娘が大へん気に入った。
 それに、ピアノが弾けて、然も、所望すると、さっさと弾く。無邪気な社交家であった。
「オバチャマ、コノオ洋服、アリーノママガネエエ、ミシンデヌッテクダサッタノオ」
 自分のことを、アリー、アリーと呼んでいた。何か、胸のあた
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