をひっくりがえしたり、何度も粗相をくりかえした。頭痛が絶えずしており、微熱すら伴っていた。医師の診断をうけた私は、急性の軽い胸部疾患であることを知った。私は会社を辞することを命ぜられた。三カ月は療養せねばならなかった。別に病気をおそれる気持もなかった。唯、斯うしろと云われたままに動くことが出来るようになっており、自分の意志表示をすることは面倒であった。いや意志すらなかったに違いない。
 三月の末、私は退職手当金のわずかと、その月の給料をもらい、社長以下にぺこぺこ別れの挨拶をして会社をやめた。分家氏は、又よくなったら来てほしい、と云ってくれた。秘書は私に人形をくれた。小使のおばさんは、よう働いてくれた、と何度もくりかえした。私が入社した時、皮肉を云った石岡さんは、
「やっぱりかよわいお嬢さんでしたね」
 と云った。別段私はその言葉を何のひびきも持たないできくことが出来た。
 私は自分の皮膚が青く艶を失っており、胸のへんがげっそりくぼみをつくっていることにたいして気を留めなかった。退職金で二カ月はぶらぶら出来ると考えた。別に絶対安静をしなければならないほどではなく、毎日、ビタミンの注射をする程度で、薬も服用していなかった。レントゲンにあらわれたかげの部分はさして広くもなく、神経を使わないでおればすぐに熱も降りた。私は退屈な時間をもてあましながら、読書も映画も強いてとっつきたくもなく、たわむれに絵をかいたりしてその間だけはわずかな慰みを見出していた。世間と急に没交渉になってしまったことは、別にさみしいとは思わなかった。人と人との愛情よりも、空気や自然の色彩の間を愛していることの方が私にはよいように思い始めた。
 生き返ったことが不思議ではなく、一つの経験をしたというほか何の感慨もなく、体をこわしたことも、その原因をただす気さえ起らず、運命的なもののように思われた。流れに身を置いて、その流れてゆく方向に同じように流されてゆく自分を知った。いままでのたえずくりかえしていた事件に疲れたのかもしれない。身も心もアヴァンチュールを求めるほどの活溌さや自信を失ってしまっていた。情熱など更になかった。今まで着ていた衣をぬぎすてて、枯淡の世界へはいるのだと気付いた。いさぎよくはいってゆくのでもなく、そうかと云って若さに未練をもつこともなかった。唯なんとなく枯淡をあくがれたにすぎない。物慾も消えてゆく。強いてひたすらに思ってみたりすることも興味ない。まだ二十歳まで二三年あるというのに、私はひっつめ髪をし、黒っぽい服を着、化粧すらしないで家に引籠っていた。
 家族は私の変貌に半信半疑の目をむけていた。しかし一種の落つきのようにみえる私の態度に安心もしている様子であった。
 私はその頃、はじめてのように自分が女であることを意識しはじめた。いや、それまででも、会社に通っている頃、何となく化粧して手鏡にうつる自分の顔を観察してみたり、歩く時の姿勢に気を配ったりしたものだが、本質的に女性ということの内部へはふれていなかった。私は時折日本の女流作家の随筆など拾いよみした。けれど、そこに見出される女性は全く精神的にアブノーマルであるか、そうでないものは、あまりにも生活にむすびついた唯、身の周辺に刺戟された女性をしか、発見出来ないでいた。もっと奥底に流れるものを知りたがったのに、それ等は私を満足させなかった。
 私は自分をみたり、母親や女の人達の考えることや行動に注意してゆくうちに、それが滑稽なほど、男性や或いは生活によって巧みに動かされ、丸くなったり四角くなったりすることに気付いた。特殊な場合があったとしても、それは世間的に通用しなく、弱さを無理にカヴァーして意地をはっているようにしか思えなかった。私は両者ともひどく軽蔑した。そして自分をもその中にふくみこんで自己嫌悪した。
 女が鏡をみるのは、自分をみると同時に、自分がどんなにみえるのかを見るためだ、とある作家が云っていた。私には、それぞれの女性が、たえず自分がどんなにみえるかのために、あらゆるポーズを試みているように思われた。女が其の恋愛をしてみたところで、それは真の恋愛をしているその瞬間の快楽よりも、そうすることの得意さ、人の目に映じる自分の姿に対する自己満足にすぎないように思われた。(それが女性の快楽であるかもしれないが)今まで、涙ながして何度もみた恋愛映画に於いても、私は思いかえしてみて、そこにあらわれたいろいろの女性は悉くそう云った自己満足のように思われた。それがハッピーエンドにならなくとも、女は又、その悲劇であることを誇らしげに吹聴し、苦しみもだえることは、苦しみもだえてみせることであるにちがいなく、恋愛でない場合にしても、女流作家が小説をかいて発表するのも、女代議士が立候補するのも、同じように本当の
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