働であった。私はよく働いた。名誉ある役目がら、しなければならなかったし、信仰の精神が、働くことの喜びを私に強制したのかもしれない。数珠を右腕にまく私は、教師や生徒から変人あつかいをうけていた。それに私は口のまわりにひげが生え出していた。母は幼い頃から子供の顔をそらないように床屋に命じていたので(私達は月に一回、床屋が出張して来て日のあたるヴェランダで、消毒のにおいのするヴァリカンを首すじにあてられることを習慣としていた)うぶ毛が顔中密生していたのだが、私のは殊に濃く、それが女学校へ入った頃から目立って来ていたのだった。まゆ毛は左右太く大きく真中で堂々と連結しており、上脣のまわりのは波うつ程であったのだ。同級生から笑われた。何故そらないのかと云われた。私は、その理由からも、かわった人だ、と思われた。私はこっそり父の安全カミソリで、眉毛と口のまわりの毛をそり落した。まゆ毛はかたちんばになり、猶更わらわれた。カミソリの効果は逆であり、ますます濃い毛がニョキニョキと生え、私は遂に剃っても剃っても追いつかずに断念してしまう気持になった。そして髪の毛さえ手入れしなくなった。三つ編みにしたり、おさげにしたり、肩のへんでゆらゆらさせることが面倒で、朝起きても櫛を使うことは滅多になかった。ガシャッと大きなピン一つでとめて、後からみればまるで嵐が起っているように見えるらしかった。
 もんぺをはいて防空鞄をさげ、防空頭巾やゲートルや三角巾や乾飯をその中へつめて毎日持ち歩いた。未だ国土来襲は殆どなく、夏の間は、近くの海岸へ泳ぎに行ったり山登りをしたりすることが出来た。顔や手足は真黒になり、私の身体は健康であったけれど、秋になる頃から、私の持続していた南無阿弥陀仏の信仰があまりにもたやすすぎ、かえってそれが不安になりはじめた。私はもっと苦しまねばならない、もっとこらしめを受けねば救われないと思い始めた。称号を唱えながら唱えている自分がはっきりした存在になり、没我の境地にはいれなくなった。私は私を意識することが、私と仏の距離を遠くした。私は禅の本にふれてみた。菩提寺の和尚に話をきいた。大乗か小乗か、自力か他力か、私はこの岐路で相当考えなおしはじめた。心の平和は失われていた。しかし私の年齢の頭脳で、はっきりした確信をつかむことは不可能であった。私は気分をその迷いの中から他の方向へ転じさせた。絵を
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