私は三時半頃、青白き大佐と別れました。もう会うまいと思っていました。安楽な地帯を求めていた自分のくだらない、いやしい根性を捨てようと思いました。青白き大佐は大人だから、私は安心していることが出来るのです。それに恋情も愛もないのですからおだやかでいられるのです。然しどんなに不安な気持があっても、どんなにつらい生活でも、鉄路のほとりと共に送りたいと思いました。さて小母様。私は一軒ののみ屋に借金があったので、丁度父からおこづかいをもらいましたので、はらいに行ったのです。と小母様、そこのママさんが、云うのです。昨夜、鉄路のほとりが一人でのんで行ったと。私はびっくりしました。家では、彼から電話がかかったとは教えてくれませんでした。まさか昨夜来ているとは知りませんでした。私はすぐに駅へゆき、電報をうちました。二四ヒスマヌ アスアサデ ンタノム。私はそれから、研究所の忘年会へ出席しました。ものすごくのみました。鉄路のほとりは、私と青白き大佐が歩いていたのをみかけたのでしょうか。私は、偶然のいたずらに、ひどく気持をくらくして帰りました。どぶろくをたくさんのんだので頭ががんがんし、私はすぐに寝てしまいました。翌朝、二十六日、私はこちらから、京都へ電話しました。彼は出た後でした。もう電話がかかるか、もうかかるかと、その日一日、いらいらしてました。かかりませんでした。私は彼に、その朝、郵便も出していたのです。家で、あなたからの電話を教えてくれなかったため、会えなかったということを。そして私は、一刻も早く会いたいということ。一日中一しょにいたい。私は鉛筆ではしり書きしました。二十四日の日は神戸へかえって一人でのみあるいたとも書いたのです。それは行為としてはいつわりだったでしょう。でも私は一人としか思えません。その一人は嘘でない筈です。二十六日一日中、鉄路のほとりからは何の連絡もありませんでした。彼がいそがしいことを知ってます。だから、電報も電話も手紙を書く時間さえないのだろうと解釈しようとしました。
それから、私は研究所の忘年会へ行ったのです。そのことは書きましたね。その夜は、洋服のままごろりと寝こんでしまったことも。二十七日。私は、鉄路のほとりに会うため、大阪へゆきました。青白き大佐から、電話があり、大阪へ一しょに行ったのです。もう、彼と一しょにいるのが嫌で嫌で。電車の中でも、私は故意
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