人と、いつもジャンジャン横丁へ行き、私は、随分歌をうたいました。そして、自宅へもどったのです。二十日の月曜日は、昼間、私は何をしたかすっかり忘れましたが、夜は、約束のカクテルパーティーに、令嬢を伴って、出かけたものです。さてその帰り、私は、どうしても、鉄路のほとりに会いたい気になったのです。私は京都へ行こうかと思いました。ところが、ハンドバッグの中には、百円札が二枚と、十円札がわずか。今から京都へ行っても、市電はなし、かかとの高い靴をはき、シルクのいでたちだったので、まさか歩くわけにもゆきません。私は、鉄路のほとりに電報を打ちました。明日午後三時に大阪のいつもよくゆく喫茶店で会いたいと。私は、とにかく、もう一度どうしても会いたかったのです。単にそれだけ。そして会ってから、黒部へたつつもりでした。令嬢を、自動車で送り届け、私は、自宅へ。机の上などをかたづけ、お風呂にもはいり、まっさらの下着を身につけて寐ました。
 小母様。二十二日が来るのです。私は、いつもより以上に、家庭であいきょうをふりまき、ほほえみかけました。そして十時半頃、最近かったスピッツとじゃれたりしてから外へ出ました。ズボン。それにスェーターを二三枚着て、ぼろぼろのトッパーをはおり、穴のあいた手袋をはめていました。ハンドバッグの中には、その日のため貯めておいた千円札と百円札。それに、千円の小為替。それから、真珠のネックレスと、ダイヤやルビーをちりばめた指輪。風呂敷づつみには、ペンと原稿用紙、というのは、その朝、急に書きたくなって十枚ばかりばりばり、芝居のものを書きかけたのです。いちばんはじめに書いた〈鋏と布と型〉の原稿です。それを途中で筆をおき、三時迄の余暇に、喫茶店で書きあげてしまおうと思っていたのです。さて、風呂敷の中は、青白き大佐から借りていた本二三冊、それは建築の本でした。彼が家をたてるというので、私は、そのデザインをまかされていたのです。いずれ、二人で住むかも知れない家だったかも知れません。それと封筒の中に、契約証と破約の短い文章。これは前にかきました。それ等がはいっておりました。私は、宝石屋へまず寄りました。最初の家で、両方とも三千五百円だと云われたのです。一万円は大丈夫だと思ってたのですから、がっかりしました。次の店で三千円。その次の店では、何と二千円。私は売る気がしなくなりました。品物に対
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