ルテットの楽譜をみて、彼はおそらく、気持がおだやかじゃなかったことでしょう。喫茶店や何かで、いい音色に出くわすと、彼は堪らなく落ちつきなく、耳にはいる音の流れを追っているのです。私は意地悪く、その表情を観察したりしてました。
小母さん。青白き大佐は、私を嫌いだ、嫌いだといってたのです。だけど、よく私を訪問しました。そのうち、私は青白き大佐と結婚したら、幸せになれそうな気がしたのです。彼は、とても大人だから、私が何を云おうと、何をしようと、眺めてくれるんです。私は神経をつかわなくて済むし、気楽だろうと思ったのです。そして、私と青白き大佐は、遂に婚約しました。それがふるってるんです。契約書をとりかわしました。拇印を押しました。だけど、私は実際のところ、真剣に結婚を考えてはいなかったのです。だから、買主が大佐、売主が私。売物は売主と同一のもの、但し、新品同様、履行は、昭和二十九年。さらい年です。など二人でとりきめながら、至極かんたんに契約したわけなんです。彼の気持などは、私、ちっとも考えないし、想像もしなかった。それが、十一月十七、八日のことです。人に若し喋ればこの契約は放棄になるなどという条件まで、すみでしたためたものです。ところが、私は、まるで冗談半分だったので、四五人の人に、結婚するんだと云いました。しかも、来年しますなどと。何故、大佐が結婚を昭和二十九年にしたかは、後ほどにまわします。だから私の過去の人に会った時、結婚するんだ。その人はかつて作曲家で、など云ったのは、まんざらでたらめでもなかったわけです。大佐は、私が、新しく恋をしていることも過去の人をまだ愛し、そのために苦しんでいることも知っているんです。京都での一夜の時も、大佐は傍に居ました。だけど私は平気でした。何故なら、大佐とは、お互いに惚れぬこと、などという条件があったのですから。それに私は、恋愛を結婚までもって行くことに反対してたんです。私のような、過激な、情熱のかたまりみたいな女は、恋愛して、そのまま結婚することは、とても出来ない。恋愛を生活に結びつけられないんですの。
小母さん。それに、私には、三代目の家族が傍にあるのです。三代目の家族の一人なんです。有名な親をもち、有名な祖父、曽祖父をもち、貴族出の母親をもっているんです。その悲劇は、どうせ、このつづきにかきますから、今ははぶきましょう。私を死
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