かと思うと、はやい三連音符をならしはじめた。
 仁科六郎はほっとした。黙って居られることが、そして、南原杉子が自分に背をむけていることが救いであった。
 ――阿難、僕達は何てかなしい対面をしたのだろう――
 彼は、蓬莱和子の歌声などきいていなかった。そして、両手をくんでじっとその手をみていた。
 蓬莱建介もきいていない。彼は、妻和子の不穏を感じて、この集りが終る時までに、何とかして彼女の機嫌をとらなくてはと思っていた。
 蓬莱和子は、時折楽譜をみながらピアノの傍で自分の声に酔っていた。
 ――私は、何といったって今宵の中心人物なんだわ。お杉だってそれに気付いて、内心私に嫉妬しているのだわ。あら、夫が私をみて頬笑んだわ。やっぱり私の美貌が得意なんだろう――
 南原杉子は、ミスがないようにと忠実にひいた。
 曲が終った時、相手をしたのは仁科たか子であった。彼女は、拍手をしなければならないものと、曲がはじまった時から待機の姿勢でいたのだ。
「音が狂ってますわ」
 南原杉子は、三つ四つ、キイをたたいた。
「お杉ったら、どうしてピアノひけるって云わなかったの」
 南原杉子は苦笑した。
「お杉、何
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