原杉子は、テーブルの下でハンカチを出し、へんな感触のあとを処理しながらたずねた。
「あら、ない方が楽ですわ。でも何故ないって御気付きになったの」
「わかりますわ、お若いですもの」
話は終った。南原杉子はカレワラを出た。非常にこころよい。ビールのせいか。蓬莱和子の饒舌のせいか。いや、南原杉子は、ビールの味も長い饒舌も忘れていた。こころよいのは何故だろう。彼女自身仲々気がつかない。電車通りをすぎ、紡績会社の方へ曲った時、彼女は、そのこころよさが何であるか発見した。それは、仁科六郎の存在である。
三
「ねえ、女史はよしてね」
「どうして突然そんなこと云いだした?」
「あなたは、仲々仮面を取りはずさないみたいよ。だから、私まで女史を意識しなきゃいけないみたいで嫌《いや》。(早く生の彼を発見したいものだわ)」
「じゃあ何て呼ぼう」
「阿難」
「アナン、それ愛称?」
「ううん。誰も阿難とは呼ばないわ。私、ひとりで阿難って自分に名前つけてるの(実は今ふと思いついた名前なのだ。阿難陀は男だったかしら)」
「どうして」
「何となく」
仁科六郎は両腕に力をいれて、小麦色の肩のあたりを無意
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