れど魅かれる。いつかはあきるだろう。唯、それだけであった。
蓬莱和子は、三人が人間らしい喜びに浸っている日常を、唯一人、いらだたしくおくっていた。夫、お杉、六ちゃん。すべて、彼女から遠ざかっていたからである。
ある日、蓬莱和子は、放送会社へ出むいた。仁科六郎を呼び出したのだ。
「どうして来なくなったの」
「病気で寐てたのさ。それにとてもいそがしいんだ」
「お杉も来ないわよ。お杉はどうして来ないの」
「僕にきいたってわかることじゃない」
「お杉と会っているのでしょう」
「うん」
彼女は、間の抜けた質問をしたものだと思った。そして、はっきりと邪魔者にされた自分を感じて、おそろしく激怒しはじめた。
「私ね、何にもあなたとお杉のことを、とやかく云うつもりはないんですよ、私は、お杉が好きなんですからね。お杉に来てほしいのですよ。お杉に会いたいのですよ」
「だったら、彼女に云いたまえ」
「ええ、云いますとも」
蓬莱和子は、ハンドバッグをあけ、伝票と共に、カウンターにお札をつきつけると、仁科六郎に挨拶もしないで喫茶店を出た。彼女は、自分が興奮している原因をかんがえてみるひまもなかった。そして、ただちに、南原杉子のオフィスへむかった。だが、オフィスの前まで行った彼女は、南原杉子を訪ねることが、非常に屈辱的な行為であると感じた時、さっさとカレワラへ戻った。
――お杉に侮辱される位なら、夫に屈従する方がましだ――
彼女は、今夜、建介に南原杉子のことを、たずねてみようと決心した。
ところが、カレワラのドアをあけた時、中から晴れやかな声がした。
「ごぶさた、ごめんなさい」
南原杉子である。
「あらまあ、御久しぶり、どうなさってらしたの」
言葉は、相変らずの真実性をおびているが、その表情には、もはやかくしきれない敵意識があった。
「何だかばたばたしちゃってて。二週間以上になるわね。ごめんなさい」
「心配したわよ」
蓬莱和子は、南原杉子に自分のうろたえをみぬかれないかと案じた。そして、強いて快活に、
「うちの旦那様がね。あなたにとってもまいっちゃったらしいの」
「あら、御冗談、御主人にいつだったか、散々あなたのこと、のろけられちゃったわ」
南原杉子、蓬莱建介が、妻にかくしていることを知っていた。蓬莱和子は、年下のものから、からかわれている気がして腹立しかった。
「六ちゃんのところへ、さっき寄ったのよ。六ちゃんは、とてもあなたを愛してるのね。すぐわかったわ。あなたはうちの旦那様からももてて、すごいじゃないの」
南原杉子は、蓬莱和子が、しきりに自分を観察していることを愉快に思った。
「ねえ、あなたは、うちの旦那様どう思って?」
「いい方ですわ、いい御主人様ですわ、いい御夫婦ですわ」
「そうかしら、私、六ちゃんの夫婦は、とてもいい御夫婦だと思ってよ。あの人愛妻家よ」
南原杉子はにこやかである。
「あなたは嫉かないの」
南原杉子は、答えないで笑っていた。南原杉子は、仁科六郎の妻を知らない。知ろうともしない。彼女は、彼の妻のことを問題にしていなかった。阿難は、彼の妻に会えば、嫉妬するだろうから、知らない方が苦しみが少ないのだと思っていた。
「あなたはでも素晴しい方ね。あなたに、ひきつけられるのは、あなたの感覚ね」
その時、南原杉子はふといたずらめいたことを考えた。
「一度、あなた御夫婦とのみたいわ」
それには、蓬莱和子大賛成である。日はまだ決めることが出来ないが、近いうちにと約束した。蓬莱和子は夫の浮気が未完遂であることを感じた。そして本当に快活になった。
その日の夜、仁科六郎と阿難は、ウィスキーを飲みながら、いつもになくおしゃべりをはじめた。
「阿難は、ピアノを弾く時、直覚が大事だと思うのよ。直覚は直感とちがうの、ある程度理解の上でなければ感じることの出来ないものよ。阿難は、今迄、随分自分の感覚にたよりすぎていたのよ。感覚には自信もてるのよ。でも感覚だけで物事を判断することは危険だと知ったわ。阿灘が若し、昔のままで、感覚的に物事を処理してゆくとしたら、あなたとの恋愛は永続出来ないでしょう。阿難はあなたを直覚出来たから、幸福をつかめたのよ。時折、そりゃさみしいと思うわ。でも阿難は、あなたを知って、あなたと共に、こうして居られることが。阿難は言葉で云えないわ、阿難は作曲してみるわね」
「阿難、有難う、僕は嬉しい」
仁科六郎は、阿難の言葉がまだ終らないうちに、力強く云った。
「阿難、僕こそ幸せだ。僕達のことは、おそらく僕達しかわからたい世界かもしれない。僕達の間だけに存在する世界なんだ。お互に、この世界を大事にしようね」
阿難は大きくうなずいた。彼女は一つの問題を仁科六郎に呈しようとした。ところが、それが南原杉子の働きのように
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