――阿難。私は恋をしている阿難を愛しているのよ。でも、でも、みじめになっちゃいや。みじめになる位なら……――
――いえ、出来ない。阿難は走ってゆく。どこまでも――
六
カレワラに、アネモネが一ぱい活き活きといけられてあった。南原杉子が、花屋におくりとどけさせたものである。
「おまえに花が贈られるとはね。どうも、おくった人の感覚を疑いたくなるよ」
「云ったわね、一度、会わせてあげるわ」
「素晴しい人だというけど、女なんてものは大方どれもおなじだよ」
「おんなじだったら、いい加減に浮気もあきたでしょう」
「大方同じだが、大方でないところを発見するのが面白いんだね、時にお前の方はどうだい?」
「ええ、あたしは相変らずですよ。あなたをのぞいた他の男には大いに興味がありますからね」
「まあせいぜいやったがいいね。だが、外泊が三日もつづいたとなりゃ、いくら、妻の浮気公認の亭主だと云っても、亭主としての義務上、一応心配してみるね、どこかで怪我か病気でもしてやしないかと思ってね。心中てなことはないと思うがね。やっぱり多少はお前とつながりがあるんだからね。ずるずるひもをたぐられて、俺に責任がかかって来るようなことなきにしもあらずだからね」
「御親切様ね。その位の御気持あるなら、せっせとかせいで下さいよ。月一万ぽっちじゃくらせませんよ」
「そりゃそうだ。だが浮気の話と別間題。俺の浮気は二時間で済むが、お前のは三日だからね」
蓬莱和子とその夫建介は、暇なカレワラで無駄な云い合いをつづけている。蓬莱和子は、夫を知り抜いているつもりである。口では、浮気々々と云っていても、実は臆病で何一つ出来ないと思っている。実際のところは、建介は派手に女遊びをするが、一人の女性と長く関係したりすることを馬鹿馬鹿しく思っている。凡そ、愛情なんてものは、瞬間に感じるもので、瞬間が瞬間でなくなった時には、既に、アンニュイだと考える。その上、肉慾しかない。彼は又、妻に対して妻を一つの道具としか考えていない。道具は道具の性能がある筈、ところが妻は第一の性能の子供をつくることをしない。出来ないのだ。第二の性能、家の中を片付け、料理をつくって夫の帰りを待つことをしない。妻としては失格。だが、建介は妻の美貌を人から羨まれて来たことにのみ、妻の性能を認めてしまった。それも一昔。今は何も妻にはないのだが、しかし、戸籍上、夫婦であり、人の認める夫婦でもある。彼自身、それを認めているにすぎない。
「まあいいさ、お前は公園のベンチさね。共有物だよ」
蓬莱和子が、ベンチと云われた侮辱に答えようとした時に、ドアがあいて、はれやかな南原杉子の声。
「御花届いて? ああ、あるわ、いいでしょう」
「まあ、お杉本当にありがとう。うれしいわ」
蓬莱和子は椅子からたち上って南原杉子にちかづいた。
「花屋の前で、あんまりきれいだったもんで。ああ疲れた」
「おいそがしいのでしょうね。大部あたたかくなりましたわね」
南原杉子は、自分達の方をみている男に気づいた。
「お杉。あたしのダンツクよ。さあさ。あなた、おまちかねの方よ」
蓬莱和子は少し嫌味な笑い方をした。南原杉子は軽く頭をさげた後、
「ねえ、これ、あずかって下さんない? 私、ちょっとバタバタ出かけなきゃならないの」
大きな風呂敷包にはじめて蓬莱和子は気がついた。何故なら、それまで南原杉子の容姿の観察にいそがしかったのだ。
「はいはい御預りしますわ。ああそうそう昨日六ちゃんのところへ泊ったのよ。奥様ってとてもかわいい方よ。仲がいいの、とっても」
蓬莱和子は南原杉子の表情を探ったが、南原杉子は平然としていた。蓬莱和子は、少しがっかりしたのだ。だが、背後の夫に、昨夜のことをきこえがしに云ったことが面白く思えた。
「じゃあ私、失礼してよ。又来ますわ」
蓬莱建介の方に目で挨拶をして、そそくさと出て行った南原杉子。その後。
「どうお」
「お前よりはずっといいね」
蓬莱和子は別に腹をたてなかった。
「ねえ、あれどう思う。ヴァージンかどうか」
「俺の知ったことじゃない」
「ねえ、六ちゃんとらしいのよ」
「で、お前が嫉くというのか、くだらんね。ところで昨夜は、六ちゃんのところへ泊った。それをわざわざ云うあたり、お前の間が抜けてるところさ」
「どうして間が抜けてるんでしょうね。云ったっていいじゃないの」
「反応をみようとしたが、あにはからんや」
「ほっておいて下さいよ。つべこべつべこべうるさいったら」
蓬莱和子は、南原杉子が仁科六郎とどんな交渉しているかということよりも、仁科六郎に対する彼女の感情を知りたいのだ。
――いい加減。私に嫉妬するなり、苦しんだり、それを私に信用ある私に、打ち明けようとすればいい。不気味な愛慾。アネモネの花――
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