で、いきなり、カレワラへ行ってみようと決心した。彼女は、蓬莱和子が芦屋に住む金持の夫人で、声楽家であるという、それだけのことを知っていたにすぎない。だから、カレワラなんておかしな名前の喫茶店の存在もはじめて知ったわけなのだ。疑念が湧いた。しかし、彼女が招待に応じてゆけは、すぐに何もかも諒解出来るだろうと思った。午後から、いそいそと美粧院へ出かけてセットしてもらい単衣の御召を箪司から出し、襦袢の衿をかけなおした仁科たか子は、すっかり外出気分になった。
カレワラは、本日終了の札を出した。蓬莱和子は、黒のシフォンヴェルヴェットのワンピースを着て、昨日、夫が買って来てくれた真珠の首飾りをしていた。彼女は、女の子に手伝わせてカナッペをつくり、その他、お酒や御馳走を注文した。奥の部屋からピアノを運び出し、喫茶店らしくなく、家具のおきかえもした。真紅なばらを壺いっぱいに活けた。これはその朝、南原杉子が花屋にとどけさせたものである。蓬莱和子は、今日の集りが、非常に面白いものであると考えた。そして自分が中心になれると思った。客はかならず集るものと信じていた。用意万端ととのえた彼女は、ピアノにむかって、ぽつぽつかきならしながら歌をうたい、飾りたてた部屋の中に恍惚としはじめた。彼女は、さっきちらりとみた鏡の中の自分を思い出した。
――シンプソン夫人のように、高尚だわ――
南原杉子は、金茶色のタフタの洋服を下宿の二階できつけていた。髪型は、ひきつめで、後をまるく結いあげ、平常の型を、少し粋にさせた。そして、金茶色の大きな半円のマべ(真珠の一種)の耳輪と腕輪をはめた。鏡を斜めにして、彼女は自分の姿をうつした。しまった胴。フレヤーのスカートがゆるやかに動いて、地模様のこまかい縞がひかる。その上に、白の毛糸のすかしあみのケープをはおり、ゴールドの靴とハンドバッグを片手に二階を降りた。時間は、六時半をとっくにまわっていた。今から、自動車にのってゆけば四十分の遅刻であろう。彼女は広い通りへ出た。五分位待った。空車は彼女の傍へとまった。彼女は自動単にのってから、ハンドバッグをあけ、つけ忘れていた香水を耳もとにふった。香水だけは阿難の香水。阿難のにおいを。彼女は小さなびんを両手で抱きしめた。それは、すぐ消える淡いにおいであった。仁科六郎に会う前は、必ずその香水をつけた。別れる時は消えるものであっ
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