中につったっていないと、気が済まない彼女は、その二人の沈黙と併せて、夫の行動が案じられたのだ。彼女は、自分でおかしい程うろたえはじめた。三人からボイコットされている。彼女の心の中には、すでに、南原杉子へのにくしみが存在していた。
蓬莱建介は終電車で帰って来た。黙っている。蓬莱和子の方からは、南原杉子のことを口に出しかねた。愛想よく、夫の着替えを手伝いながら、彼女の内部は、ざわめきがはげしい。蓬莱和子は、貞淑な婦人の持つ感情を、はじめて抱いたのである。
十
仁科六郎が出勤したのは、一週間ぶりの水曜日であった。彼は、喫茶店から阿難に電話をし、阿難は、しかけのスクリプトを持ったまま、すぐにその喫茶店へおもむいた。阿難は、南原杉子のことを仁科六郎に云うつもりであった。けれど、彼の顔をみた途端、口ごもってしまった。お互に話合ったことは、会ったことのよろこびにすぎなかった。そして、その日の午後七時に、二人は再会した。無言であった。抱擁は、すべて気づまりなことを葬ってしまった。阿難は、南原杉子のことも、つづいて蓬莱建介のことも、すっかり忘却していた。だから、仁科六郎の胸にすがりながら,自己荷責もなかった。阿難は酔っていた。仁科六郎も、妻のある自分を忘れていた。阿難に済まないと思ったのは、過去の真実であるにすぎなかった。
阿難は、みちがえるようにいきいきとしはじめた。仁科六郎も又、健康を取り戻してから、そして、阿難との愛の交流をはっきり自覚してから歓喜の日常を送りはじめた。彼は、もはや妻たか子との夫婦生活にも苦悩がなくなっていた。阿難を常に思い浮べながら、たか子と相対することに抵抗を感じなくなっていた。南原杉子は、蓬莱建介とも時々会った。そして、享楽の夜を共にしながら、その時は、阿難を抹殺させることが出来た。つまり、南原杉子と、蓬莱建介との関係によって、阿難は仁科六郎との恋愛を絶対的なものと信じることが出来たからなのだ。
蓬莱建介は、南原杉子への愛を認めた。然し、認めながら彼は、蓬莱氏を念頭においていた。そして時折、女給やダンサーの類とちがって、話をして面白い取得、妻和子にない新鮮さ、若さを、南原杉子に感じて、いい女に出会ったものだと心でつぶやいた。彼の愛とは、肉慾の中に存在するものである。そして、南原杉子を強いて解剖する必要はないと思っていた。不気味な女だけ
前へ
次へ
全47ページ中32ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
久坂 葉子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング