翩翩
蒲松齢
田中貢太郎訳

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)羅子浮《らしふ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)皆|真《ほんとう》の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「巾+僕のつくり」、第3水準1−84−12]《ずきん》
−−

 羅子浮《らしふ》は汾《ふん》の人であった。両親が早く亡くなったので、八、九歳のころから叔父《おじ》の大業《たいぎょう》の許へ身を寄せていた。大業は国子左廂《こくしさしょう》の官にいたが、金があって子がなかったので、羅をほんとうの子供のようにして可愛がった。
 羅は十四になって、良くない人に誘われて遊廓《ゆうかく》へ遊びにいくようになった。ちょうどその時金陵から来ている娼婦《しょうふ》があって、それが郡の中に家を借りて住んでいた。羅はそれに惑溺《わくでき》して通っていたが、そのうちに娼婦《おんな》は金陵へ返っていった。羅はそっと娼婦について逃げ出し、金陵へいって娼婦の家に半年ばかりもいたが、金がなくなったので、ひどく娼婦の女兄弟から冷遇せられるようになった。しかし、それでもまだ棄《す》てられるほどではなかったが、間もなく瘡《おでき》が出来て、それが潰《つぶ》れて牀席《ねどこ》をよごしたので、とうとう逐《お》い出された。
 羅は困って乞食《こじき》になった。市の人は羅の瘡が臭いので遠くからそれをさけた。羅は他郷でのたれ死をするのが、恐ろしいので、乞食をしながら西へ西へと返っていった。毎日シナの里数で三、四十里も歩いて、やっと汾の境までいったが、敗れた着物を着てひどく汚くなっている自分の姿を顧《かえり》みると、村の門を入っていって村の人に顔を合せることができなかった。しかし、それでも故郷が恋しいので、ためらいためらい歩いて村の近くまでいった。
 日がもう暮れていた。羅は山寺へいって宿をかろうと思った。その時向うから一人の女が来た。それは綺麗な仙女《せんじょ》のような女であった。女は近くなると、
「どこへいらっしゃるのです。」
 といって訊いた。羅はほんとうのことを話した。すると女がいった。
「私は出家《しゅっけ》です。山の洞穴《ほらあな》の中に家があります。おとめしてもよろしゅうございます。何も恐しいことはありませんよ。」
 羅は喜んで女についていった。女は深い山の中へ入っていった。そこに一つの洞穴があって、入口に渓《たに》の水が流れ、それに石橋をかけてあった。その石橋を渡って入っていくと石室が二つあって、そこには明るい光が照りわたっているので、燈火《あかり》を用いる必要がなかった。女は羅にいいつけて汚いぼろぼろの着物を脱がして、渓の中へ入って体を洗わし、
「これで洗いますと、創《きず》がなおりますよ。」
 といった。女はまた障《ついたて》をよせて褥《ねどこ》の塵を払って、羅に寝よと勧めて、
「すぐおやすみなさい、今晩あなたに着物をこしらえてあげます。」
 といった。羅が寝ると女は大きな芭蕉の葉のような葉を採って来て、それを切って縫いあわせて着物をこしらえた。羅は寝ながらそれを見ていた。女は着物をしあげるとたたんで枕頭《まくらもと》へ置いていった。
「朝、お召しなさい。」
 そこで二人は榻《ねだい》を並べて寝た。羅は渓の水で洗ってから瘡の痛みがなくなっていたが、ひと眠りして創へ手をやってみると、もう乾いて痂《かさぶた》ができていた。
 朝になって羅は起きようとしたが、宵《よる》に女がこしらえてくれた着物は芭蕉のような葉であるから、とても着られないだろうと思いながら手にとって見ると、緑の錦のひどく滑《なめ》らかなものであった。
 間もなく飯のしたくをした。女は木の葉を採って来て、
「これは餅《もち》です。」
 といって出した。羅は気昧悪く思いながら口にしてみると果して餅であった。女はまた木の葉を切って鶏と魚の形をこしらえて、それを鍋に入れて烹《に》たが、皆|真《ほんとう》の鶏と魚になった。室の隅《すみ》に一つの瓶《かめ》があって佳《よ》い酒を貯えてあったので、それを取って飲んだが、すこしすくなくなると渓の水を汲んで入れた。
 三、四日して羅の痂は皆落ちてしまった。羅は女に執着を持って同棲さしてくれといった。女はいった。
「ほんとにあなたは厭《いや》なかたね。体がよくなると、もうそんなことを考えるのだもの。」
 羅はいった。
「あなたに報いたいと思いまして。」
 とうとう二人は同棲することになって、ひどく歓愛しあった。
 ある日一人の若い婦人が笑いながら入って来て、
「翩翩《へんぺん》のおいたさん、うんとお楽しみなさいよ。面白いことはいつまでもつづ
次へ
全3ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
蒲 松齢 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング