たことはないのですか。」
 柳はますます眼を近くにやった。襪の後には歯の痕《あと》が残っていた。柳は驚いていった。
「お前は織成か。」
 女は口もとを掩《おお》って微《ひそ》かに笑った。柳は長揖《ちょうゆう》の礼をとっていった。
「お前は神か。早くほんとうのことをいってくれ、俺を惑《まど》わしてくれるな。」
 女がいった。
「ほんとうのことを申しましょう。あなたが洞庭の舟の中でお遭いになったのは、洞庭の神様ですよ。洞庭の神様は、あなたの大きな才能を崇拝して、私をあなたに贈ることになりましたが、私は王妃に愛せられていましたから、帰って相談しました。私のあがりましたのは王妃の命であります。」
 柳は喜んで手を洗い香を焚《た》いて、洞庭湖の方に向いて遥拝《ようはい》してから、女を伴れて帰った。後にまた武昌にいく時女が里がえりがしたいというので、同行して洞庭までいった。女は釵《かんざし》を抜いて水の中に投げた。と、見ると一|艘《そう》の舟が湖の中から出て来た。女はそれに飛び乗って鳥の飛ぶようにいったが、またたく間に見えなくなった。柳は舟の舳《へさき》に坐って小舟の消えた処をじっと見つめていた。
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