に私の甥《めい》なの。」
 嬰寧はいった。
「私、お母さんの子じゃないの。お父様は秦という苗字なの。お父様の没《な》くなった時、私、あかんぼでしたから、何も覚えはありませんの。」
 王親はいった。
「そういえば、私の一人の姉が、秦《しん》へ嫁入ってたことは確かだが、没くなってもう久しくなっているのに、なんでまた生きているものかね。」
 そこで顔の恰好や痣《あざ》や贅《いぼ》のあるなしを訊いてみると一いち合っている。しかし母親の疑いは晴れなかった。
「そりゃ合ってるがね。しかし没くなって、もう久しくなる。どうしてまた生きているものかね。」
 判断がつきかねている時、呉が来た。嬰寧は避けて室の中へ入った。呉は理由を聞いて暫くぼんやりしていたが、忽《たちま》ちいった。
「女は嬰寧といいやしないかい。」
「そうだよ。」
 と王がいった。呉は、
「いや、そいつは、怪しいよ。」
 といった。王は呉が女の名を知っていることを先ず聞きたかった。
「君はどうしてその名を知っているね。」
「秦の姑《おば》さんが没くなった後で、姑丈《おじ》さんが鰥《やもめ》でいると、狐がついて、瘠《や》せて死んだが、その狐が女の子を生んで、嬰寧という名をつけ、むつきに包んで牀《とこ》の上に寝かしてあるのを、家の者は皆見ていたのだ。姑丈《おじ》が没くなった後でも、狐が時おり来ていたが、後に張天師のかじ符《ふだ》をもらって、壁に貼《は》ったので、狐もとうとう女の子を伴れていったのだか、それじゃないかね。」
 皆で疑っている時、室の中からくつくつと笑う声が聞えて来た。それは嬰寧の笑う声であった。母親はいった。
「ほんとに彼《あ》の子は馬鹿だよ。」
 呉が女に逢ってみようといいだした。そこで母親が室の中へ呼びにいった。嬰寧はまだ大笑いに笑っていてこっちを向かなかった。
「ちょっとおいでなさいよ。逢わせる人があるから。」
 嬰寧は始めて力を入れて笑いをこらえたが、また壁の方に向ってこみあげて来る笑いをこじらしているようにしていて、時を移してからやっと出たが、わずかに一度お辞儀をしたのみで、もうひらりと身をかえして室の中へ入って、大声を出して笑いだした。それがために家中の婦《おんな》が皆ふきだした。
 呉はその不思議を見きわめて、異状がなければ媒酌人《ばいしゃくにん》になろうといって、西南の山の中の村へ尋ねていった。そこには家も庭もまったくなくて、ただ木の花が落ち散っているばかりであった。呉は姑《おば》の墓がそのあたりにあるような気がしたが、何も墓らしいものが見えないので、疑い怪しみながら帰って来た。
 母親は呉の報告を聞いて、嬰寧を幽霊ではないかと疑って、その室へ入っていって、
「お前さんの家は、ないというじゃないか、どうしたの。」
 といったが、嬰寧はべつにあわてもしなかった。
「お気の毒ねえ、家がなくなって。」
 ともいったが、べつに悲しみもせずに笑うばかりであった。
 嬰寧は何につけても笑うばかりであるから、だれもその本姓を見きわめることはできなかった。母親は夜、嬰寧と同じ室に寝ていた。嬰寧は朝早く起きて朝のあいさつをした。裁縫をさしていると手がうまかった。ただ善く笑うだけは止めても止まらなかった。しかし、その笑いはにこにこしていて、狂人のように笑っても愛嬌《あいきょう》をそこなわなかった。それで人が皆楽しく思って、隣の女や若いお嫁さん達が争って迎えた。
 母親は吉日を択《えら》んで王と嬰寧を結婚させることにしたが、しかし、どうも人間でないという恐れがあるので、ある日、嬰寧が陽《ひ》の中に立っているところを窺《のぞ》いてみた。影がはっきりと地に映っていてすこしも怪しいことはなかった。そこで母親はその日が来ると華かな衣装を着せて儀式の席へ出したが、嬰寧がまた笑いだして顔をあげることができないので、儀式はとうとうできずに終った。王は嬰寧が馬鹿なために二人の間の秘密を漏らしはしないかと恐れたが、それは決して漏らさなかった。
 母親が心配したり腹を立てたりする時に、嬰寧が傍へいって一度笑うと、それでなおってしまった。婢《じょちゅう》や奴《げなん》が過《あやま》ちをしでかして、主婦に折檻《せっかん》せられるような時には、嬰寧の所へ来て、一緒にいって話してくれと頼むので、一緒にいってやるといつも免《ゆる》された。
 嬰寧は花を愛するのが癖になっていた。そっと金の釵《かんざし》を質に入れて、その金で親類の家をかたっぱしから探して、佳《よ》い花の種を買って植えたが、数月の中に、家の入口、踏石《ふみいし》、垣根《かきね》、便所にかけて花でない所はなくなった。庭の後に木香《もっこう》の木の棚があった。それは元から西隣の家との境にあった。嬰寧はいつもその棚の上に攀《よ》じ登って、薔薇《ばら
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