ガッソーの曲馬団《きょくばだん》へ売った。前金で金をはらってもらったのだ。きみはガッソーの曲馬を知っているかい。知らない。うん、それはたいした曲馬団ではないけれど、やはり曲馬は曲馬さ。そこでは子どもを、かたわの子どもを使うのだ。それでガロフォリがぼくをガッソーへ売ったのだ。ぼくはこのまえの月曜までそこにいたが、ぼくの頭がはこの中にはいるには大きすぎるというので、追い出された。曲馬団《きょくばだん》を出るとぼくはガロフォリのうちへもどったが、うちはすっかり閉《し》まっていた。近所の人に聞いて様子がすっかりわかった。ガロフォリが刑務所《けいむしょ》へ行ってしまうと、ぼくはどこへ行っていいか、わからない」
「それにぼくは金を持たない」とかれはつけ加《くわ》えて言った。「ぼくはきのうから一きれのパンも食べない」
わたしも金持ちではなかったけれど、気のどくなマチアにやるだけのものはあった。わたしがツールーズへんをいまのマチアのように飢《う》えてうろうろしていたじぶん、一きれのパンでもくれる人があったら、わたしはどんなにその人の幸福をいのったであろう。
「ぼくが帰って来るまで、ここに待っておいでよ」とわたしは言った。わたしは町の角のパン屋までかけて行って、まもなく一|斤《きん》買って帰って、それをかれにあたえた。かれはがつがつして、見るまに食べてしまった。
「さて」とわたしは言った。「きみはどうするつもりだ」
「ぼくはわからない。ぼくはヴァイオリンを売ろうかと思っていたところへきみが声をかけた。ぼくはそれと別《わか》れるのがこんなにいやでなかったら、とうに売っていたろう。ぼくのヴァイオリンはぼくの持っているありったけのもので、悲しいときにも、一人いられる場所が見つかると、自分一人でひいていた。そうすると空の中にいろんな美しいものが、ゆめの中で見るものよりももっと美しいものが見えるんだ」
「なぜきみは往来《おうらい》でヴァイオリンをひかないのだ」
「ひいてみたけれど、なにももらえなかった」
ヴァイオリンをひいて一文ももらえないことを、どんなによくわたしも知っていたことであろう。
「きみはいまなにをしているのだ」とかれはたずねた。
わたしはなぜかわからなかった。けれどそのときの勢《いきお》いで、こっけいなほらをふいてしまった。
「ぼくは一座《いちざ》の親方だよ」とわたしは高慢《こうまん》らしく言った。
それは真実《しんじつ》ではあったが、その真実はずっとうそのほうに近かった。わたしの一座はたったカピ一人だけだった。
「おお、きみはそんなら……」とマチアが言った。
「なんだい」
「きみの一座《いちざ》にぼくを入れてくれないか」
かれをあざむくにしのびないので、わたしはにっこりしてカピを指さした。
「でも一座はこれだけだよ」とわたしは言った。
「ああ、なんでもかまうものか。ぼくがもう一人の仲間《なかま》になろう。まあどうかぼくを捨《す》てないでくれたまえ。ぼくは腹《はら》が減《へ》って死んでしまう」
腹が減って死ぬ。このことばがわたしのはらわたの底《そこ》にしみわたった。腹が減って死ぬということがどんなことだか、わたしは知っている。
「ぼくはヴァイオリンをひくこともできるし、でんぐり返しをうつこともできる」と、マチアがせかせか息もつかずに言った。「なわの上でおどりもおどれるし、歌も歌える。なんでもきみの好《す》きなことをするよ。きみの家来にもなる。言うことも聞く。金をくれとは言わない。食べ物だけあればいい。ぼくがまずいことをしたらぶってもいい。それはやくそくしておく。ただたのむことは頭をぶたないでくれたまえ。これもやくそくしておいてもらわなければならない。なぜならぼくの頭はガロフォリがひどくぶってから、すっかりやわらかくなっているのだ」
わたしはかわいそうなマチアが、そんなことを言うのを聞くと、声を上げて泣《な》きだしたくなった。どうしてわたしはかれを連《つ》れて行くことをこばむことができよう。腹《はら》が減《へ》って死ぬというのか。でも、わたしといっしょでも、やはり腹が減って死ぬかもしれない場合がある――わたしはそうかれに言ったが、かれは聞き入れようともしなかった。
「ううん、ううん」とかれは言った。「二人いれば飢《う》え死《じ》にはしない。一人が一人を助けるからね。持っている者が持っていない者にやれるのだ」
わたしはもうちゅうちょしなかった。わたしがすこしでも持っていれば、わたしはかれを助けなければならない。
「うん、よし、それでわかった」とわたしは言った。
そう言うと、かれはわたしの手をつかんで、心から感謝《かんしゃ》のキッスをした。
「ぼくといっしょに来たまえ」とわたしは言った。「家来ではなく、仲間《なかま》になろう」
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