は、わたしが夕飯《ゆうはん》のときいなかったのを見て、なんとか言いはしなかったかい」
「リーズはお父さんの席《せき》を、なんだか見ていました」
「なんだ、わしの席を見ていたと」
「ええ」
「何べんもかい。何べんぐらい見ていた」
「それはたびたび」
「それからどうしていたね」
「『お父さんはいらっしゃらないのね』と言いたいような目つきをしていました」
「じゃあリーズは、わたしがそこにいないのはなぜだとたずねたろう。そしておまえは、わたしがお友だちのうちに行っていると答えたろう」
「いいえ、なんにもたずねませんでした。わたしもなにも言いませんでした。あの子はでもお父さんの行っていらっしゃる所をようく知っていますよ」
「なに、あの子が知ってるって。あの子が……もう早くからねこんでいるかい」
「いいえ、つい十五分ほどまえねたばかりです。お父さんのお帰りを待ちかねていたようです」
「で、おまえはどう思っていたえ」
「わたしはリーズが、お父さんのお帰りのところを見なければいいと思っていました」
 しばらく沈黙《ちんもく》が続《つづ》いた。
「エチエネット、おまえはいい子だ。あすはわたしはルイソーのうちへ行く。わたしはちかって夕飯《ゆうはん》にはきっと帰る。おまえが待っていてくれるのが気のどくだし、リーズが心配しいしいねるのがかわいそうだから」
 だがやくそくも誓言《せいごん》もいっこう役には立たなかった。かれはちっとも早く帰ったことはなかった。一ぱいでもお酒がのどにはいったら、もうめちゃめちゃであった。うちの中でこそ、リーズがご本尊《ほんぞん》だが、外の風に当たるともう忘《わす》れられてしまった。
 でもこんなことはしじゅうではなかった。レセンプラージュの季節《きせつ》がすむと、もうお父さんは外へ出ようとも思わない。むろん一人で居酒屋《いざかや》へ行く人ではなかった。そんなむだな時間を持つ人ではなかった。
 においあらせいとう[#「においあらせいとう」に傍点]の季節《きせつ》がすむと、今度はほかの花を作らなければならない。植木屋の花畑は一年じゅうむだに土地の遊んでいるひまはなかった。一つの花を売ってしまうとほかの花を売り出す仕度をしなければならなかった。セン・ピエールだの、セン・マリだの、セン・ルイだの、そういう年じゅうの祝《いわ》い日《び》にはおびただしい花が町へ出る。ピエールだの、マリだの、ルイだのと呼《よ》ばれる名前の人たちの数はおびただしいもので、したがってそういう祝《いわ》い日《び》には、花たばやら花びんを買って、名づけ親やお友だちにおくってお祝《いわ》いをしなければならない人が限《かぎ》りなく多かった。
 だから、この祝い日の前夜には、パリの通りは花でいっぱいになる。ふつうの店や市場だけではない。往来《おうらい》のすみずみ、家いえの石段《いしだん》、そのほかちょっとした店を開くことのできる場所にはきっと花を売っていた。
 アッケンのお父さんは、においあらせいとう[#「においあらせいとう」に傍点]の季節《きせつ》がすむと、七月、八月の祝《いわ》い日《び》の用意にせっせとかかっていた。とりわけ八月には、セン・マリ、セン・ルイの大祝日《だいしゅくじつ》があるので、これを当てこんで何千本というえぞぎく[#「えぞぎく」に傍点]、フクシア、きょうちくとう[#「きょうちくとう」に傍点]などを温室や温床《おんしょう》にはいりきらないほどしこんでおいた。これらの花はどれも、ちょうどその当日に早すぎずおそすぎず花ざかりというふうに作らなければならないので、そこにうでの要《い》るのは言うまでもないことであった。だれだって、太陽と天気を自由にすることはできない。天気は人間にかまわずよすぎたり、悪すぎたりするのであった。アッケンのお父さんは、そういううでにかけては、確《たし》かなものであったから、花が当日におくれたり早すぎたりするなどという失敗《しっぱい》はなかったが、それだけにめんどうな手数のかかることはしかたがなかった。
 この話の当時には、花の出来はまったくすばらしいものであった。それはちょうど八月五日のことであったが、花はいまが見ごろであった。花畑の中の野天の下で、えぞぎく[#「えぞぎく」に傍点]の花びらはいまにも口を開こうとしてふくれていた。
 温室の温度と日光を弱めるために、わざわざ石灰乳《せっかいにゅう》をガラスのフレームにぬった温床《おんしょう》の下で、フクシアやきょうちくとう[#「きょうちくとう」に傍点]がさきかけていた。うじゃうじゃと固《かた》まって草むらになっているものもあれば、頭から根元《ねもと》まで三角形につぼみのすずなりになったものもあった。どうして目の覚《さ》めるように美しかった。ときどきお父さんはいかにも満足《まんぞく》
前へ 次へ
全82ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
マロ エクトール・アンリ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング