あいつ石炭がらをくずしてしまうぞ」
「まあ、自由だけは許《ゆる》してやれ」と「先生」が言った。
 かれはわたしがさっき背中《せなか》で下へすべって行ったのを見ていた。それで自分もそのとおりをやろうとしたが、わたしの身が軽いのとちがって、かれはなみはずれて重かった。それで後ろ向きになるやいなや、石炭の土手が足の下でくずれて、両足をのばし、両手は空《くう》をつかんだまま、かれはまっ暗な穴《あな》の中に落ちこんだ。
 水はわたしたちのいる所まではね上がった。わたしは下りて行くつもりでのぞきこんだが、ガスパールおじさんと「先生」がわたしの手を両方からおさえた。
 半分死んだように、恐怖《きょうふ》にふるえがら、わたしは席《せき》にもどった。
 時間が過《す》ぎていった。元気よくものを言うのは「先生」だけであった。けれどそれもわたしたちのしずんでいるのがとうとうかれの精神《せいしん》をもしずませた。わたしたちの空腹《くうふく》はひじょうなものであったから、しまいにはぐるりにあるくさった木まで食べた。まるでけもののようであった。カロリーが中でもいちばん腹《はら》をすかした。かれは片《かた》っぽの長ぐつを切って、しじゅうなめし皮のきれをかんでいた。空腹《くうふく》がどんなどん底《ぞこ》のやみにまでわたしたちを導《みちび》くかということを見て、正直の話、わたしははげしい恐怖《きょうふ》を感じだした。ヴィタリス老人《ろうじん》は、よく難船《なんせん》した人の話をした。ある話では、なにも食べ物のないはなれ島に漂着《ひょうちゃく》した船乗りが、船のボーイを食べてしまったこともある。わたしは仲間《なかま》がこんなにひどい空腹《くうふく》に責《せ》められているのを見て、そういう運命がわたしの上にも向いて来やしないかとおそれた。「先生」と、ガスパールおじさんだけはわたしを食べようとは思えなかったが、パージュとカロリーと、ベルグヌーは、とりわけベルグヌーは長ぐつの皮を食い切るあの大きな白い歯で、ずいぶんそんなことをしかねないと思った。
 一度こんなこともあった。わたしが半分うとうとしていると、「先生」がゆめを見ているように、ほとんどささやくような声で言っていることを聞いてびっくりした。かれは雲や風や太陽の話をしていた。するとパージュとベルグヌーが、とんきょうな様子でかれとおしゃべりを始めた。まる
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