でくるくる回したので、女中はすっかりびっくりした。
「あったまったか」と親方はしばらくしてわたしにたずねた。
「むれそうです」
「それでいい」かれは急いで寝台《ねだい》のそばに来て、ジョリクールをねどこにつっこんで、わたしの胸《むね》にくっつけて、しっかりだいているようにと言った。かわいそうな小ざるは、いつもなら自分のきらいなことをされると反抗《はんこう》するくせに、もういまはなにもかもあきらめていた。かれは見向きもしないで、しっかりだかれていた。けれどもかれはもう冷《つめ》たくはなかった。かれのからだは焼《や》けるようだった。
台所へ出かけて行った親方は、まもなくあまくしたぶどう酒を一ぱい持って帰って来た。かれはジョリクールに二さじ三さじ飲ませようと試《こころ》みたけれど、小ざるは歯《は》を食いしばっていた。かれはぴかぴかする目でわたしたちを見ながら、もうこのうえ自分を責《せ》めてくれるなとたのむような顔をしていた。それからかれはかけ物の下から片《かた》うでを出して、わたしたちのほうへさし延《の》べた。
わたしはかれの思っていることがわからなかった。それでふしぎそうに親方の顔を見ると、こう説明《せつめい》してくれた。
わたしがまだ来なかったじぶん、ジョリクールは肺炎《はいえん》にかかったことがあった。それでかれのうでに針《はり》をさして出血させなければならなかった。今度病気になったのを知ってかれはまた刺絡《しらく》(血を出すこと)してもらって、先《せん》のようによくなりたいと思うのであった。
かわいそうな小ざる。親方はこれだけの所作《しょさ》で深く感動した。そしてよけい心配になってきた。ジョリクールが病気だということはあきらかであった。しかもひじょうに悪くって、あれほど好《す》きな砂糖《さとう》入りのぶどう酒すらも受けつけようとはしないのであった。
「ルミ、ぶどう酒をお飲み。そしてとこにはいっておいで」と親方が言った。「わたしは医者を呼《よ》んで来る」
わたしもやはり砂糖入りのぶどう酒が好きだということを白状《はくじょう》しなければならない。それにわたしはたいへん腹《はら》が減《へ》っていた。それで二度と言いつけられるまも待たず、一息にぶどう酒を飲んでしまうと、また毛ぶとんの中にもぐりこんだ。からだの温かみに、酒まではいって、それこそほとんど息がつまりそうであった。
親方は遠くへは行かなかった。かれはまもなく帰って来た。金ぶちのめがねをかけた紳士《しんし》――お医者を連《つ》れて来た。さるだと聞いては医者が来てくれないかと思って、ヴィタリスは病人がなんだということをはっきり言わなかった。それでわたしがとこの中にはいって、トマトのような赤い顔をしていると、医者はわたしの額が手を当てて、すぐ「充血《じゅうけつ》だ」と言った。
かれはよほどむずかしい病人にでも向かったようなふうで首をふった。
うっかりしてまちがえられて、血でも取られてはたいへんだと思って、わたしはさけんだ。
「まあ、ぼくは病人ではありません」
「病人でない。どうして、この子はうわごとを言っている」
わたしは少し毛布《もうふ》を上げて、ジョリクールを見せた。かれはその小さな手をわたしの首に巻《ま》きつけていた。
「病人はこれです」とわたしは言った。
「さるか」とかれはさけんで、おこった顔をして親方に向かった。「きみはこんな日にさるをみせにわたしを連《つ》れ出したか」
親方はなかなか容易《ようい》なことでまごつくような、まのぬけた男ではなかった。ていねいにしかも例《れい》の大《おお》ふうな様子で、医者を引き止めた。それからかれは事情《じじょう》を説明《せつめい》して、ふぶきの中に閉《と》じこめられたことや、おおかみにこわがってジョリクールがかしの木にとび上がったこと、そこで死ぬほどこごえたことを話した。
「病人はたかがさるにすぎないのですが、しかしなんという天才でありますか。われわれにとってどれほどだいじな友だちであり、仲間《なかま》でありますか。どうしてこれほどのふしぎな才能《さいのう》を持った動物をただの獣医《じゅうい》やなどに任《まか》されるものではない。村の獣医というものはばかであって、その代わりどんな小さな村でも、医師といえば学者だということはだれだって知っている。医師の標札《ひょうさつ》の出ているドアの呼《よ》びりんをおせば、知識《ちしき》があり慈愛《じさい》深い人にかならず会うことができる。さるは動物ではあるが、博物学者《はくぶつがくしゃ》に従《したが》えば、かれらはひじょうに人類《じんるい》に近いので、病気などは人もさるも同じようにあつかわれると聞いている。のみならず学問上の立場から見ても、人とさるがどうちがうか、研究してみるのも興味《きょうみ》のあることではないでしょうか」
こういうふうに説《と》かれて、医者は行きかけていた戸口からもどって来た。
ジョリクールはたぶんこのめがねをかけた人が医者だということをさとったとみえて、またうでをつき出した。
「ほらね」と親方がさけんだ。「あのとおり刺絡《しらく》していただくつもりでいます」
これで医者の足が止まった。
「ひじょうにおもしろい。なかなかおもしろい実験《じっけん》だ」とかれはつぶやいた。
一とおり診察《しんさつ》して、医者はかわいそうなジョリクールが今度もやはり肺炎《はいえん》にかかっていることを告《つ》げた。医者はさるの手を取って、その血管《けっかん》に少しも苦しませずにランセット(針)をさしこんだ。ジョリクールはこれできっと治《なお》ると思った。刺絡《しらく》をすませて、医者はいろいろと薬剤《やくざい》にそえて注意をあたえた。わたしはもちろんとこの中にはいってはいなかった。親方の言いつけに従《したが》って、看護婦《かんごふ》を務《つと》めていた。
かわいそうなジョリクール。かれは自分を看護してくれるのでわたしを好《す》いていた。かれはわたしの顔を見てさびしく笑《わら》った。かれの顔つきはひじょうに優《やさ》しかった。
いつもあれほど、せっかちで、かんしゃく持ちで、だれにもいたずらばかりしていたかれが、それはもうおとなしく従順《じゅうじゅん》であった。
その後毎日、かれはいかにわたしたちをなつかしがっているかを示《しめ》そうと努《つと》めた。それはこれまでたびたびかれのいたずらの犠牲《ぎせい》であったカピに対してすらそうであった。
肺炎《はいえん》のふつうの経過《けいか》として、かれはまもなくせきをし始めた、この発作《ほっさ》のたびごとに小さなからだがはげくふるえるので、かれはひどくこれを苦しがった。
わたしの持っていたありったけの五スーで、わたしはかれに麦菓子《むぎがし》を買ってやった。けれどこれはよけいかれを悪くした。
かれのするどい本能《ほんのう》で、かれはまもなくせきをするたんびにわたしが麦菓子をくれることに気がついた。かれはそれをいいことにして、自分のたいへん好《す》きな薬をもらうために、しじゅうせきをした。それでこの薬はかれをよけい悪くした。
かれのこのくわだてをわたしが見破《みやぶ》ると、もちろん麦菓子《むぎがし》をやることをやめたが、かれは弱らなかった。まずかれは哀願《あいがん》するような目つきでそれを求《もと》めた。それでくれないと見ると、かれはとこの上にすわって両手を胸《むね》の上に当てたまま、からだをゆがめて、ありったけの力でせきをした。かれの額《ひたい》の青筋《あおすじ》がにょきんととび出して、なみだが目から流れた。そしてのどのつまるまねをするのが、しまいには本物になって、もう自分でおさえることができないほどはげしくせきこんだ。
わたしはいつも親方が一人で出て行ったあと、ジョリクールといっしょに宿屋《やどや》に残《のこ》っていた。ある朝かれが帰って来ると、宿《やど》の亭主《ていしゅ》がとどこおっている宿料《しゅくりょう》を要求《ようきゅう》したことを話した。かれがわたしに金の話をしたのはこれが初《はじ》めてであった。かれがわたしの毛皮服を買うために時計を売ったということはほんのぐうぜんにわたしの聞き出したことであって、そのほかにはかれのふところ具合がどんなに苦しいか、ついぞ打ち明けてもらったことはなかったが、今度こそかれはもうわずか五十スーしかふところに残《のこ》っていないことを話した。
こうなってただ一つ残《のこ》った手だてとしては、今夜さっそく一|興行《こうぎょう》やるほかにないとかれは考えていた。
ゼルビノもドルスもジョリクールもいない興行。まあ、そんなことができることだろうか、とわたしは思った。
それができてもできなくても、どう少なく見積《みつ》もってもすぐ四十フランという金をこしらえなければならないとかれは言った。ジョリクールの病気は治《なお》してやらなければならないし、部屋《へや》には火がなければならないし、薬も買わなければならないし、宿《やど》にもはらわなければならない。いったん借《か》りている物を返せば、あとはまた貸《か》してもくれるだろう。
この村で四十フラン。この寒空といい、こんなあわれない一座《いちざ》でなにができよう。
わたしが、ジョリクールといっしょに宿《やど》に待っているあいだに親方がさかり場で一けん見世物小屋を見つけた。なにしろ野天《のてん》で興行《こうぎょう》するなんということはこの寒さにできない相談《そうだん》であった。かれは広告《こうこく》のびらを書いて、ほうぼうにはり出したり、二、三|枚《まい》の板でかれは舞台《ぶたい》をこしらえたりした。そして思い切って残《のこ》りの五十スーでろうそくを買うと、それを半分に切って、明かりを二|倍《ばい》に使うくふうをした。
わたしたちの部屋《へや》の窓《まど》から見ていると、かれは雪の中を行ったり来たりしていた。わたしはどんな番組をかれが作るか、心配であった。
わたしはすぐにこの問題を解《と》くことができた。というのは、そのとき村の広告屋《こうこくや》が赤いぼうしをかぶってやって来て、宿屋《やどや》の前に止まった。たいこをそうぞうしくたたいたあとで、かれはわれわれの番組を読み上げた。
その口上《こうじょう》を聞いていると、よくもきまりが悪くないと思われるほど親方は思い切って大げさなふいちょうをした。なんでも世界でもっとも高名な芸人《げいにん》が出る――それはカピのことであった――それから『希世《きせい》の天才なる少年歌うたい』が出る。その天才はわたしであった。
それはいいとして、この山勘口上《やまかんこうじょう》で第一におもしろいことは、この興行《こうぎょう》に決まった入場料《にゅうじょうりょう》のなかったことであった。われわれは見物の義侠心《ぎきょうしん》に信頼《しんらい》する。見物は残《のこ》らず見て聞いてかっさいをしたあとで、いくらでもお志《こころざし》しだいにはらえばいいというのである。
これがわたしにはとっぴょうしもなくだいたんなやり方に思われた。だれがわたしたちをかっさいする者があろう。カピはたしかに高名になってもいいだけのことはあったけれど、わたしが……わたしが天才だなどとは、どこをおせばそんな音《ね》が出るのだ。
たいこの音を聞くと、カピはほえた。ジョリクールはちょうどひじょうに悪かった最中《さいちゅう》であったが、やはり起き上がろうとした。たいこの音とカピのほえ声を聞くと、芝居《しばい》の始まる知らせであるということをさとったようであった。
わたしは無理《むり》にかれをねどこにおしもどさなければならなかった。するとかれは例《れい》のイギリスの大将《たいしょう》の軍服《ぐんぷく》――金筋《きんすじ》のはいった赤い上着とズボン、それから羽根《はね》のついたぼうしをくれという合図をした。かれは両手を合わせてひざをついて、わたしにたのみ始めた。いくらたのんでも、なにもしてもらえないとみると、かれはおこって見
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