そのひまな時間だけであった。
毎日決まった道のりだけは歩いて行かなければならなかった。もっともその道のりは村と村との間が遠いか近いか、それによって長くもなり短くもなった。いくらかでも、収入《しゅうにゅう》のある機会《きかい》を見つけしだい、そこで止まって芝居《しばい》をうたなければならなかった。犬たちやジョリクール氏《し》に役々の復習《ふくしゅう》をもさせなければならなかった。朝飯《あさめし》も昼飯《ひるめし》もてんでんに自分で用意しなければならなかった。読書なり音楽なりの仕事は、つまりそういうもののすんだあとのことであった。まあいちばんよく教えてもちったのは、休憩《きゅうけい》の時間で、木の根かたや、小砂利《こじゃり》の山の上や、または芝生《しばふ》なり、道ばたの草の上が、みんなわたしの木ぎれをならべる机《つくえ》が代わりになった。
この教育法《きょういくほう》はふつうの子どもの受けるそれとは、少しも似《に》たところがなかった。ふつうの子どもなら、ただ勉強するほかに仕事はないし、それでもかれらはしじゅうあたえられた宿題《しゅくだい》をやる時間がないといって、ぶつぶつ言うのである。
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