けれどもかれはわたしの手首をおさえて、土手を下りて往来《おうらい》へ出た。
「さあ、だいぶ休んだから、もう出かけるのだ」と、かれは言った。
 わたしはぬけ出そうともがいたけれども、かれはしっかりわたしをおさえていた。
「さあカピ、ゼルビノ」と、かれは犬のほうを見ながら言った。
 二ひきの犬がぴったりわたしにくっついた。カピは後ろに、ゼルビノは前に。
 二足《ふたあし》三足《みあし》行くと、わたしはふり向いた。
 わたしたちはもう坂の曲がり角を通りこした。もう谷も見えなければ家も見えなくなった。ただ遠いかなたに遠山《とおやま》がうすく青くかすんでいた。果《は》てしもない空の中にわたしの目はあてどなく迷《まよ》うのであった。


     とちゅう

 四十フラン出して子どもを買ったからといって、その人は鬼《おに》でもなければ、その子どもの肉を食べようとするのでもなかった。ヴィタリス老人《ろうじん》はわたしを食べようという欲《よく》もなかったし、子どもを買ったが、その人は悪人ではなかった。
 わたしはまもなくそれがわかった。
 ちょうどロアール川とドルドーニュ川と、二つの谷を分かった山の頂上《ちょうじょう》で、かれはふたたびわたしの手首をにぎった。その山を南へ下り始めて十五分も行ったころ、かれは手をはなした。
「まああとからぽつぽつおいで。にげることはむだだよ。カピとゼルビノがついているからな」
 わたしたちはしばらくだまって歩いていた。
 わたしはふとため息を一つした。
「わしにはおまえの心持ちはわかっているよ」と老人《ろうじん》は言った、「泣《な》きたいだけお泣き。だがまあ、これがおまえのためにはいいことだということを考えるようにしてごらん。あの人たちはおまえのふた親ではないのだ、おっかあはおまえに優《やさ》しくはしてくれたろう。それでおまえも好《す》いていたから、それでそんなに悲しく思うのだろう。けれどもあの人は、ご亭主《ていしゅ》がおまえをうちに置《お》きたくないと言えば、それを止めることはできなかったのだ。それにあの男だって、なにもそんなに悪い男というのでもないかもしれない。あの男はからだを悪くして、もうほかの仕事ができなくなっている。かたわのからだでは食べてゆくだけに骨《ほね》が折《お》れるのだ。そのうえおまえを養《やしな》っていては、自分たちが飢《う》えて
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