せた。それからとうとうしまいにはなみだをこぼしていた。かれに向かって、今夜|芝居《しばい》するなんという考えを捨《す》てなければならないことを納得《なっとく》させるには、たいへんな手数のかかることがわかっていた。それよりもかくれて出て行くほうがいいとわたしは思った。
 親方が帰って来ると、かれはわたしにハープをしょったり、いろいろ興行《こうぎょう》に入りようなものを用意するように言いつけた。それがなんの意味だということを知っているジョリクールは、今度は親方に向かって請求《せいきゅう》を始めた。かれは自分の希望《きぼう》を表すために苦しい声をしばり出したり、顔をしかめたり、からだを曲げたりするよりいいことはなかった。かれのほおにはほんとうになみだが流れていたし、親方の手におしつけたのは心からのキッスであった。
「おまえも芝居《しばい》がしたいのか」と親方はたずねた。
「そうですとも」とジョリクールのからだ全体がさけんでいるように思われた。かれは自分がもう病人でないことを示《しめ》すために、とび上がろうとした。でもわたしたちは外へかれを連《つ》れ出せば、いよいよかれを殺《ころ》すほかはないことをよく知っていた。
 わたしたちはもう出て行く時刻《じこく》になった。出かけるまえにわたしは長く持つようにいい火をこしらえて、ジョリクールを毛布《もうふ》の中にすっかりくるんだ。かれはまたさけんで、できるだけの力でわたしをだきしめた。やっとわたしたちは出発した。
 雪の中を歩いて行くと、親方はわたしに今夜はしっかりやってもらいたいということを話した。もちろん一座《いちざ》の主《おも》な役者たちがいなくなっていては、いつものようにうまくいくはずはなかったが、カピとわたしとでおたがいにいっしょうけんめいにやれるだけはやらなければならなかった。なにしろ四十フラン集めなければならなかった。
 四十フラン。おそろしいことであった。できない相談《そうだん》であった。
 親方はいろいろなことを用意しておいたので、わたしたちがすべきいっさいのことはろうそくの火をつけることであった。けれどこれはむやみにつけてしまうこともできない。見物がいっぱいになるまではひかえなければならない。なにしろ芝居《しばい》のすむまでに明かりがおしまいになるかもしれないのであった。
 わたしたちがいよいよ芝居小屋にはいった
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