い子が初《はじ》めて、うちの中からちょこちょことかけ出して、わたしたちのほうへやって来た。
きっと母親があとからついて来るであろう。その母親のあとから、仲間《なかま》が出て来るだろう。そうして見物ができれば、少しのお金が取れるであろう。
わたしは子どもをおびえさせまいと思って、まえよりは静《しず》かにひいた。そうして少しでもそばへ引《ひ》き寄《よ》せようとした。両手を延《の》ばして、片足《かたあし》ずつよちよち上げて、かれは歩いて来た。もう二足か三足で、子どもはわたしたちの所へ来る。ふと、そのしゅんかん母親はふり向いた。きっと子どもの姿《すがた》の見えないのを見て、びっくりするにちがいない。
でもかの女はやっと子どもの行くえを見つけると、わたしの思ったようにすぐあとからかけては来ないで自分のほうへ呼《よ》び返した。すると子どもはおとなしくふり返って母親のほうへ帰って行った。
きっとこのへんの人は、ダンスも音楽も好《す》かないのだ。きっとそんなことであった。
わたしはゼルビノとドルスを休ませて、今度は、わたしの好《す》きな小唄《こうた》を歌い始めた。わたしはこんなにいっしょうけんめいになったことはなかった。
二|節《せつ》目の終わりになったとき、背広《せびろ》を着て、ラシャのぼうしをかぶった男が目にはいった。その男はわたしのほうへ歩いて来るらしかった。
とうとうやって来たな。
わたしはそう思って、いよいよむちゅうになって歌った。
「これこれこぞう、ここでなにをしている」と、その男はどなった。
わたしはびっくりして歌をやめた。ぽかんと口を開いたまま、そはへ寄《よ》って来るその男をぼんやりながめた。
「なにをしているというのだ」
「はい、歌を歌っています」
「おまえはここで歌を歌う許可《きょか》を得《え》たか」
「いいえ」
「ふん、じやあ行け。行かないと拘引《こういん》するぞ」
「でも、あなた……」
「あなたとはなんだ、農林監察官《のうりんかんさつかん》を知らないか。出て行け、こじきこぞうめ」
ははあ、これが農林監察官か。わたしは親方の見せたお手本で、警官《けいかん》や監察官《かんさつかん》に反抗《はんこう》すると、どんな目に会うかわかっていた。わたしはかれに二度と命令《めいれい》をくり返させなかった。わたしは急いでわき道へにげだした。
こじきこぞう
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