いぶつ》はいよいよ近くにせまっていた。もういまにも頭の上にとびかかりそうになっていた。
 運よく野原はそういばらがなかったので、いままでよりは、早くかけだすことができた。
 でもわたしがありったけの速力《そくりょく》で、競争《きょうそう》しても、その怪物《かいぶつ》はずんずん追いぬこうとしていた。もう後ろをふり返る必要《ひつよう》はなかった。それがわたしのすぐ背中《せなか》にせまっていることはわかっていた。
 わたしは息もつけなかった。競争でつかれきっていた。ただはあすう、はあすう言っていた。しかし最後《さいご》の大努力《だいどりょく》をやって、わたしは転《ころ》げこむように親方の足もとにかけこんだ。三びきの犬はあわててはね起きて、大声でほえた。わたしはやっと二つのことばをくり返した。
「化け物が、化け物が」
 犬たちのけたたましいほえ声よりも高く、はちきれそうな大笑《おおわら》いの声を聞いた。それと同時に親方は両手でわたしの肩《かた》をおさえて、無理《むり》に顔を後ろにふり向けた。
「おばかさん」とかれはさけんで、まだ笑いやめなかった。「まあよく見なさい」
 そういうことばよりも、そのけたたましい笑《わら》い声《こえ》がわたしを正気に返らせた。わたしは片目《かため》ずつ開けてみた。そうして親方の指さすほうをながめた。
 あれほどわたしをおどかした怪物《かいぶつ》はもう動かなくなって、じつと往来《おうらい》に立ち止まっていた。
 その姿《すがた》を見ると、正直の話わたしはまたふるえだした。けれど今度はわたしも親方や犬たちのそばにいるのだ。草やぶのしげった中に独《ひと》りぼっちいるのではなかった……わたしは思い切って目を上げて、じっとその姿を見つめた。
 けものだろうか。
 人だろうか。
 人のようでもあって、胴はあるし、頭も両うでもあった。
 けものらしくもある。けれどもかぶっていた毛むくじゃらな身の皮と、それをのせているらしい二本の長細いすねは、それらしい。
 夜はいよいよ暗かったが、この黒い影法師《かげぼうし》は星明かりにはっきりと見えた。
 わたしはしばらく、それがなんだかまだわからずにいたのであったが、親方はやがてその影法師に向かって話をしかけた。
「まだ村にはよほど遠いでしょうか」と、かれはていねいにたずねた。
 話をしかけるところから見れば人間だったか。
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