の所にいたじぶんには、ごくやせっぽちな子どもであった。みんながわたしを見て言ったことばで、その様子はよくわかる。「町の子どもだ」と、バルブレンは言ったし、「ひどくひょろひょろした手足の子だ」と親方は言った。
ところが親方のあとについて、広い青空の下に困難《こんなん》な生活を続《つづ》けているあいだに、わたしの手足は強くなり、肺臓《はいぞう》は発達《はったつ》し、皮膚《ひふ》は厚《あつ》くなり、ちょうどかぶとをかぶったように寒さをも暑さをもしのぐことができるようになった。
こうして、このつらいお弟子《でし》修業《しゅぎょう》のおかげで、わたしは少年時代に、たいていの困難《こんなん》に打ち勝ってゆく力を養《やしな》うことのできたのは、あとで思えばひじょうな幸福であった。
山こえて谷こえて
わたしたちはフランスの中央《ちゅうおう》の一部、たとえばローヴェルニュ、ル・ヴレー、ル・リヴァレー、ル・ケルシー、ル・ルーエルグ、レ・セヴェンネ、ル・ラングドックというような土地土地をめぐって歩いた。
わたしたちの流行はしごく簡単《かんたん》であった。どこでもかまわずまっすぐに出かけて行って、あまりびんぼうでない町だと見ると、まず行列を作る用意を始めて、犬たちに着物を着せかえてやり、ドルスの髪《かみ》にくしを入れてやる。カピが老兵《ろうへい》の役をやっているときは、目の上に包帯《ほうたい》をしてやる。最後《さいご》にいやがるジョリクールに大将《たいしょう》の軍服《ぐんぷく》を着せる。これがなによりいちばんやっかいな仕事であった。なぜというにこのさるは、これが仕事にかかるまえぶれだということを知りすぎるほど知っていて、なんでも着物を着させまいとするために、それはおかしな芸当《げいとう》を考え出すのであった。そこでわたしはしかたがないからカピを加勢《かせい》に呼《よ》んで来て、二人がかりでどうやらこうやらおさえつけて、言うことを聞かせるのであった。
さて一座《いちざ》残《のこ》らずの仕度ができあがると、ヴィタリス親方は例《れい》のふえでマーチをふきながら村の中へはいって行く。
そこでわれわれのあとからついて来る群衆《ぐんしゅう》の数が相応《そうおう》になると、さっそく演芸《えんげい》を始めるが、ほんの二、三人気まぐれな冷《ひ》やかしのお客だけだとみると、わざわざ
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